【月刊】三国志英傑群像通信 第9回


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【月刊】三国志 英傑群像通信 第9回
2003年3月1日

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■三国志戦争辞典 第8回

三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。
ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介してま
いります。

:::::::< 長坂坡の戦い >::::::::

官渡の戦いから八年後、曹操は八万の軍を持って
荊州攻略を開始します。
曹操は北方を平定後、南征のために許の都に玄武池をつくり、
水軍を訓練し準備を整えていました。

その頃、荊州は長官の劉表が亡くなり劉ソウが
後を継いだばかりのタイミングでした。

官渡の戦いの後、劉表の元に身を寄せていた劉備は
曹操との前線に近い新野にいました。
すでにこの頃、諸葛亮が有名な”三顧の礼”によって
軍師として招かれています。

この戦いの前に、曹操は劉備の軍事力強化を危惧し
夏侯惇に新野攻めを命じ、
諸葛亮の初采配で見事に撃退されています。

諸葛亮は曹操は必ず再起を図って自ら攻めて来ると考え、
劉備に荊州を乗っ取るよう助言しますが
劉備は納得しませんでした。

後継者”劉ソウ”は長男”劉?”を差し置いて後を継ぎます
が器量が小さく曹操の侵攻に戦わずして降伏します。

劉備は劉ソウが降伏したことを知らず気づいた頃には
孤立した状態となります。
一時撤退し荊州の都・襄陽に戻ろうと近くの樊城まで退却
しますが襄陽入城を拒否され、江陵まで退却することに
なります。

急ぐ必要のある退却でしたが劉備を慕い従う人民の数が
増えすぎてしまい移動がままならない状況が続きます。
一説には避難民は実に10万近くいたとも言われています。

曹操は襄陽入城したあと、劉備軍を急襲するため5,000の
精鋭騎馬隊を編成します。

劉備は人民を見捨てることはできず
先に舟に乗せて避難させるという通常では考えられない
行動に出ます。
大将が先に逃げずに人民を優先するところが劉備の人徳の
為せる所でしょうか?

遂に“長坂”という所で曹操軍が追いつきます。

しんがり(退却軍の最後尾)は張飛が努めており僅か20騎
あまりしかいません。
張飛は、長坂橋を通るとき橋をきり落とし周辺の林をその
20騎あまりに走らせて砂塵を上げさせ大軍が潜んでいる
ようにみせます。
かつ、本人は橋の前に立ち曹操軍を一喝しひとりで
引き止めるという大活躍を遂げます。

また趙雲が逃げる途中で行方不明となった劉備夫人(甘夫人)
とその子(劉禅)を一騎で大軍の中から救い出すという快挙
をあげたのもこの時です。
同時に夏侯恩を切り曹操の名刀”青コウ”も手に入れます。

ついに劉備軍は先回りしていた関羽の水軍(劉?からの援軍)
と合流する事に成功します。
そして目的地の江陵撤退をやめて夏口に向かいます。

曹操は劉備を追うことを諦め防備を固められると攻略困難に
なる江陵占領に向かい、これを攻略しました。

こうして劉備軍は負け戦ながら各将の活躍と連携もあり
なんとか逃げ切ることに成功します。

しかし曹操の遠征が終わるわけはありません。
この後、三国志最大の戦いである”赤壁の戦い”に
突入することになっていくのです。

(長坂坡の戦い 終わり)

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<ご希望商品ランキング! (2002.3.1付)>
第1位 諸葛亮の羽扇(連続TOP) 314票
第2位 携帯ストラップ − 195票 (商品化)
第3位 下敷き     − 172票
第4位 各武将の武器  − 115票
第5位 カレンダー   − 105票
第6位 武将のフィギア 74票
第7位 特大ポスター 71票 (商品化)
第8位 フィギュア駒の将棋盤 55票
第9位 デスクトップテーマ 51票
第10位 トレーディングカード 45票

<商品別売上ランキング! (2002.3.1付)>
第1位 関 羽 −
第2位 五虎将 ↑
第3位 張 遼 ↑
第4位 趙 雲 ↓
第5位 曹 操 −

<ごひいき武将ランキング! (2002.3.1付)>
第1位 関 羽(連続TOP) 215票 (商品化)
第2位 趙 雲  ↑ 151票 (商品化)
第3位 劉 備  ↓ 150票
第4位 姜 維  – 146票
第5位 曹 操  – 131票 (商品化)
第6位 呂 布 130票
第7位 郭 嘉 114票
第8位 馬 超 112票
第9位 張 遼 103票 (商品化)
第10位 周 瑜 101票

<毎月変わる三国志の質問【一番は誰だ!アンケート】>

第8回の質問の結果
 三国志中で一番素晴らしいと思う計略は?

第1位 ホウ統の赤壁版連環の計 14票
第2位 程イクの十面埋伏の計 12票
第3位 諸葛亮の天下三分の計 7票
第4位 諸葛亮の敵に矢を借りる計 6票
第5位 諸葛亮の七星壇で風を呼ぶ計 5票

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2003年2月1日

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■三国志戦争辞典 第7回

三国志といえば戦国時代です。さまざまな戦争がありました。
ここでは三国志の時代の有名な戦さについて
ご紹介してまいります。

:::::::<袁一族滅亡戦(202-206)>::::::::

官渡の戦いの後、曹操が袁一族を滅ぼす戦いです。

このあたりの話はあまり紹介されないので
袁一族滅亡の戦いをご紹介することにします。

官渡の戦いで袁紹に勝利した曹操は
あまり深追いせず劉備討伐に向かいます。

袁紹は敗れたことで自領土の内に反乱が起きます。
なんとか反乱を押え、地盤を固めなおして
再起をかけて曹操と対峙しようとしたまさにその時。
202年、袁紹は病死してしまいます。

これに乗じて曹操はすかさず兵を動かします。

袁紹には子が三人(袁譚・袁熙・袁尚)おり
後継者を決めずに他界したため
曹操が攻めて来るにもかかわらず後継者争いが起こります。
このことが袁一族の崩壊をより早めてしまう事になります。

このあたりは日本の戦国時代毛利元就が
息子三人にお互い協力しあうように”三本の矢”の訓えの
様な事を袁紹が行っていれば、もう少しまともな戦いと
なった事と思われます。

基本的に後を継ぐべき長男の”袁譚”になるべきところです。
しかし、袁譚が本拠地から離れた青州にいる間に
生前の袁紹の意向や反対派の策略も有り三男の”袁尚”が
無理やり後を継いでしまいます。

当然、兄弟間に対立が起こります。
しかし曹操が攻めてきていることも有り
先陣として”袁譚”が迎え撃つ事になります。
後を継いだ袁尚は兄・袁譚に兵を与えたくないため
少数の兵をあたえるのみで、袁尚自らが出兵します。
こんな関係ですから協力関係も生じず曹操に惨敗します。

”黎陽”を落とした曹操は一転”荊州”攻撃に向かいます。

また、この間に袁兄弟は協力する所か
戦いを始めてしまいます。
さすがに少数の兄・袁譚は敗れて平原で
曹操に降伏し助けを求めます。

曹操は大義名分を得て再度出兵。
袁尚は曹操軍がきているにもかかわらず本拠地のギョウは
審配に任せて平原にいる兄・袁譚を攻めに向かいます。

曹操はその機を逃さず”ギョウ”に向かいます。

位置的には袁尚の本拠地”ギョウ”を中心に
東に平原の袁譚、南に曹操という位置取りです。

”ギョウ”攻撃は三ヶ月近く篭城が続き、
袁尚軍が兵1万をもって助けに戻りますが
曹操軍にやぶれてしまいます。
そのため、遂に”ギョウ”も開城し、敗れた袁尚は
幽州の次男”袁煕”のもとに逃げ込みます。

曹操は”ギョウ”を落とすと降伏はしている袁譚の
存在が脅威になる前に謀殺してしまいます。

幽州の次男”袁煕”では曹操に歯が立たず
公孫康のもとに袁尚・袁煕兄弟は逃げ込みますが
公孫康も曹操の脅威の前に二人を斬ります。

こうして名門 袁一族は
滅びることになりました。

曹操はこのことで中国の半数近くを領土に収めることなり、
名実共に最大の勢力となるに至ります。

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第1位 諸葛亮の羽扇(5ヵ月連続トップ) 284票
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第1位 関 羽 −
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第3位 趙 雲 ↓
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第1位 関 羽(5ヵ月連続トップ) 212票
第2位 劉 備  – 146票
第3位 趙 雲  – 142票
第4位 姜 維  ↑ 141票
第5位 曹 操  ↓ 129票

<毎月変わる三国志の質問【一番は誰だ!アンケート】>

第7回の質問の結果
 三国志の名言・ことわざで好きなものは?

第1位 人中の呂布、馬中の赤兎 22票
第2位 死せる孔明生ける仲達を走らす 18票
第3位 死してなお兄弟と共にあり 11票
第4位 三顧の礼 9票
第5位 泣いて馬謖を斬る 7票

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【月刊】三国志 英傑群像通信 第7回
2003年1月6日

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■三国志戦争辞典 第6回

三国志といえば戦国時代です。さまざまな戦争がありました。
ここでは三国志の時代の有名な戦さについて
ご紹介してまいります。

:::::::< 官渡の戦い >::::::::

(その2)
200年2月
ついに袁紹が重い腰を上げて大軍を率い曹操討伐に向かいます。
しかし、曹操側には天子がおり大義名分の立たない
戦いに突入することになります。

ぎょうを出発し許都へ向かうその距離約250km。
そのほぼ中間地点の黄河流域が主戦場です。

曹操軍は官渡を本陣とし準備万端持久戦の構えに対し、
袁紹は大軍をもって短期戦で対抗します。

緒戦、曹操軍が黄河流域の白馬を張遼と捕虜の関羽を先鋒に
荀ユウの策で奇襲をもって攻めて勝利します。
この時、捕虜の関羽が猛将顔良を討ち取ります。

この敗戦に激怒した袁紹が大軍を持って攻めにかかると
曹操はすぐに兵を官渡までさげて防戦に出ます。
ここでまたも荀ユウの策を採用した曹操は、
少数精鋭をもって文醜を討ち取ることに成功します。
演義では文醜も関羽が討ち取ったことになっています。

双璧二人を失った袁紹は兵力はありながらも動けず
緒戦から半年の月日が流れます。
200年8月、官渡で両軍は向かい合いますが
兵力差がものをいい、さすがの曹操も敗退します。
この時、曹操は兵力の3割近くを失う惨敗でした。

曹操は敗戦をみとめ許都へ戻ろうとしますが
この地に留まるように軍師荀イクが提言し曹操も
思いとどまります。

このタイミングで袁紹の軍師許ユウが
兵力を分散させて別働隊として許都をせめるように進言しますが
袁紹は取り上げず兵力に物を言わせた戦いに固執します。
しかし、時間がたつにつれ袁紹もその策を実行に移すことにします。
曹操に敗れ袁紹の元に身を寄せていた劉備が
別働隊として曹操の後方より迂回して許都へ向かいますが、
曹仁の前に敗退。劉備は早々に戦場をさってしまいます。

長引く攻城戦の中、曹操が奇襲にでて袁紹の輸送隊を襲い、
袁紹軍に大ダメージをあたえます。
その後、袁紹の軍師許ユウが袁紹を見限り投降します。
情報を得た曹操軍は烏ガンにある食料貯蔵庫を襲います。

このことを知った袁紹が最後の戦いに出ますがとき既に遅し、
淳于ケイを失い張コウ・高覧が投降、袁紹も敗走。

こうして官渡の戦いは曹操軍が勝利し、
ここに魏建国の礎を築くのでした。

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<ご希望商品ランキング! (2002.1.6付)>
第1位 諸葛亮の羽扇(5ヵ月連続トップ) 284票
第2位 携帯ストラップ − 192票
第3位 下敷き     − 157票
第4位 各武将の武器  − 108票
第5位 カレンダー   − 102票

<商品別売上ランキング! (2002.1.6付)>
第1位 関 羽 −
第2位 趙 雲 −
第3位 張 遼 ↑
第4位 五虎将 ↑
第5位 曹 操 ↓

<ごひいき武将ランキング! (2002.1.6付)>
第1位 関 羽(4ヵ月連続トップ)209票
第2位 劉 備  – 140票
第3位 趙 雲  – 126票
第4位 曹 操  – 116票
第5位 郭 嘉  – 114票

<毎月変わる三国志の質問【一番は誰だ!アンケート】>

第7回の質問 呉に五虎将の称号があったら誰が入る?

 第1位 甘寧 64票
 第2位 魯粛 59票
 第3位 太史慈 52票
 第4位 陸遜 45票
 第5位 呂蒙 33票
 第6位 周瑜 28票

今回、二位の魯粛は文官でしたので
協議の結果、除外することとしました。
ご理解ください。

よって、英傑群像が選ぶ呉の五虎将は
 甘寧・太史慈・陸遜・呂蒙・周瑜
となりました。

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2002年12月1日

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■三国志戦争辞典 第5回

三国志といえば戦国時代です。さまざまな戦争がありました。
ここでは三国志の時代の有名な戦さについて
ご紹介してまいります。

:::::::< 官渡の戦い >::::::::

(その1)
200年
河北を平定した名門の袁紹とエン州・豫州を基盤とし、
献帝を擁立して着々と勢力拡大を図る曹操が、
官渡において激突します。
まさに曹操が魏の基盤を作り上げた天下分け目の戦いです。

当時、袁紹の治める河北はさほど戦乱の被害も少なく、
「1州だけで人口百万、精鋭三十万」と賞されていました。

一方、曹操の治める河南は”黄巾の乱”の中心地となり、
戦乱や飢餓で苦しむ人々が大勢いました。
こうした勢力の違いは袁紹軍十数万に対し曹操軍一万という
兵力差となって現れます。
当初、まず袁紹が軍を動かしますが、曹操が機敏な対応をし、
先制攻撃を仕掛けます。
この当たりは、日本の織田信長と今川義元の桶狭間を彷彿します。

その後、張繍が降伏すると曹操は自ら官渡に軍を進めます。
しかしその折、董承や劉備たちの曹操暗殺計画が露見します。
曹操は袁紹との対決を控えながらも自らそれに加担した劉備を
徐州で討伐します。

当然、袁紹の大軍を決戦を控えた時期で反対も多く出ましたが、
「後に天下を争うのは劉備である」とし、郭嘉の賛成もあり、
自ら劉備を討伐し関羽を捕虜とします。

一方、袁紹軍にとっては攻勢にでる絶好のチャンスと
田豊が進言しますが、袁紹の優柔不断な性格が災いして、
子供の病気を理由に兵を動かしませんでした。

そればかりか袁紹は、進言を繰り返す田豊を投獄し、同調する
沮授の軍勢も取り上げてしまいます。

ここがまさに”その時歴史が動いた”
袁紹敗北の判断ミスの時でした。

(その2に続く)

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第1位 諸葛亮の羽扇(5ヵ月連続トップ) 262票
第2位 携帯ストラップ −       187票
第3位 下敷き     − 136票
第4位 各武将の武器  − 101票
第5位 カレンダー   − 99票

<商品別売上ランキング! (2002.12.1付)>
第1位 関 羽 ↑
第2位 趙 雲 ↑
第3位 曹 操 ↓
第4位 太史慈 −
第5位 諸葛亮 −

<ごひいき武将ランキング! (2002.12.1付)>
第1位 関 羽(3ヵ月連続トップ) 179票
第2位 劉 備  – 128票
第3位 趙 雲  ↑ 112票
第4位 曹 操  – 108票
第5位 郭 嘉  ↓ 107票

<毎月変わる三国志の質問【一番は誰だ!アンケート】>

第5回質問 三国志で、一番の名勝負は? (10月度)

 第1位 張飛VS馬超 36票
 第2位 関羽VS夏侯惇 22票
 第3位 関羽VS黄忠 20票
 第4位 孫策VS太史慈 18票
 第5位 呂布VS劉関張 10票
 第6位 馬超VS許チョ 6票
 第7位 趙雲VS姜維 4票

第6回質問 三国志で冷静に考えて名軍師はだれ?(11月投票分)

 第1位 諸葛亮  20票
 第2位 賈 ク  18票
 第3位 郭 嘉  16票
 第4位 周 瑜  15票
 第5位 荀いく  4票

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■三国志戦争辞典 第4回

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:::::::< 江東・呉の戦い >::::::::
197年

 三国志の一国を担う孫一族の基盤を築く戦いです。

孫策は孫堅の子であり、孫権の兄でもあります。
父の孫堅が早くに死んだため孫策は17歳で後継ぎとなり
地盤も無く袁術のもとで数年を過ごします。

 袁術の元で数々の功を挙げていた孫策でしたが、
袁術は「一郡を授ける」という約束を反故にし続けました。
 孫策は袁術に見切りをつけ”劉ヨウ討伐”を志願し、
密かに袁術からの独立を企てます。
 当時、劉ヨウの領土には父 孫堅の墓があったため、
袁術も孫策の志願を了承し、”伝国の玉璽”をかたと
して差し出させる代わりに兵3000を与えます。

 孫策は親友の周瑜を伴い、呉の二張と呼ばれる賢者
”張昭・張絋”の2人らを連れて出兵します。

 孫策軍は連戦を重ね、湖熟・江東から曲阿に侵攻、
その後も留まることを知らず、呉郡・会稽をたちどころに
平定します。

孫策は平定した領土の民に食料を配り人心を
つかみます。人々は彼を”小覇王”とよび賞賛します。

孫策自身の武力もたかく、一騎打ちでは”于び””はん能”
という武将を討ち取ります。
また、勇名を馳せる”太史慈”とも引き分け配下とします。

ここに三国志を担う”呉”の基盤が形成された
重要な戦いは”劉ヨウ”の病死ということもあり
孫策の圧勝で幕を閉じます。

大活躍をした孫策でしたが、その後”謀反計画”にあい
26歳という若さで毒矢を撃たれ暗殺されてしまいます。

彼が生きていれば三国志の歴史もまた大きく変わっていた
ことでしょう。

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第1位 諸葛亮の羽扇 206 –
第2位 携帯ストラップ 181 –
第3位 下敷き 102 ↑
第4位 各武将の武器 96 ↓
第5位 カレンダー 95 ↓

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第1位 関羽 ↑
第2位 曹操 ↑
第3位 趙雲 ↓
第4位 太史慈 –
第5位 諸葛亮 –

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第1位 関羽 170 -(発売中!)
第2位 劉備 121 ↑
第3位 郭嘉 101 ↓
第4位 曹操 95 ↑(発売中!)
第5位 趙雲 94 ↓(発売中!)

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:::::::< 徐州制圧戦 >::::::::

193年
 徐州の下ヒで、”ケッ宣”と言う男が手勢数千を率い、
天子を称しました。この時、徐州牧となっていた陶謙は、
これに便乗して曹操の支配するエン州に攻め込みます。
曹操はすぐさま反撃し、逆に徐州の十余城を攻め落とし、
彭城で陶謙軍を破ります。
曹操軍の攻撃は凄まじく、この戦いで陶謙軍は数万人の死者を
出し、その為泗水の流れが止まったとまで言われています。
しかし、兵糧が乏しくなった曹操軍が兵を引き、
激戦はひとまず収まります。

翌年(194年)曹操は再び徐州に攻め込みます。
しかもほぼ全軍を挙げての総攻撃でした。
破竹の勢いの曹操がここまで徐州に拘ったのは、陶謙に対する
個人的な恨みだったといわれています。
 実は董卓の兵乱の折、徐州に難を逃れた父の曹嵩が
陶謙に殺されていたのです。
その為、曹操軍は一般の住民に対しても大虐殺を繰り返します。
対して陶謙は曹豹と客将の劉備に迎え撃たせますが、曹操軍の
前にたちまち敗退してしまいます。

曹操は快進撃を続けますが、この時留守にしていた本拠地
エン州で緊急事態が発生します。
無二の盟友だった張バクが反乱を起こし、しかもあの呂布を迎
え入れたのでした。
足元をすくわれた曹操軍の動揺は大きく、曹操はすぐさま兵を
引き返します。

結局、この徐州平定戦で曹操が得たものは何も無く、この後エ
ン州を取り戻す為に、呂布と足掛け2年に渡って戦う事となり、
劉備は労せず徐州を譲り受けてしまいます。

この時の曹操については、後の歴史家も痛烈に批判しており、
曹操にとって苦い戦いだったには、間違い有りません。

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第2位 携帯ストラップ 128 –
第3位 各武将の武器 91 –
第4位 カレンダー 83 –
第5位 下敷き 72 –

<商品別売上ランキング! (2002.9.30付)>
第1位 趙雲 ↑
第2位 関羽 ↓
第3位 曹操 –
第4位 太史慈 –
第5位 諸葛亮 –

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第1位 関羽 119 ↑(発売中!)
第2位 郭嘉 88 ↑
第3位 呂布 84 ↓
第4位 趙雲 76 ↑(発売中!)
第5位 周瑜 74 –

<毎月変わる三国志の質問【一番は誰だ!アンケート】>
第四回の質問 ずばり貴方の支持する国は? (9月度)

第1位 蜀 君主:劉備 113票
第2位 魏 君主:曹操  87票 
第3位 呉 君主:孫権  68票

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【月刊】三国志 英傑群像通信

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【月刊】三国志英傑群像通信 第3回


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【月刊】三国志 英傑群像通信 第3回
2002年9月1日

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■三国志戦争辞典 第二回

三国志といえば戦国時代です。さまざまな戦争がありました。
ここでは三国志の時代の有名な戦さについて
ご紹介してまいります。

:::::::< シ水関の戦い >::::::::

191年
 黄巾の乱が平定されてのち、霊帝が亡くなると少帝(14歳)
が即位します。

 少帝の外戚である何進は宦官誅殺の詔をだし、宦官たちの
誅殺を計るが失敗。この機に乗じて董卓が洛陽に入り少帝を
廃して献帝を擁立、実権を握るに至るのです。
 しかし、董卓は暴政を行いました。

曹操の檄文に応じて董卓を打倒すべく各地で諸将がたちあが
ります。ここに、曹操の他、袁紹・袁術・孫堅・公孫サン・
劉備たちも参加することになります。

 反董卓連合軍を結成、大将(盟主)を袁紹と決めて戦います。
董卓軍は強力で、曹操・孫堅以外はあまり積極的に
戦いませんでした。

 初戦、先鋒の孫堅は敗れるが兵を立て直して董卓軍をやぶり、
華雄をうちとります。
 董卓は和睦を求めるものの孫堅は拒否、シ水関・虎牢関とや
ぶれ危機を感じた董卓は洛陽から長安に遷都するに至ります。
その際、洛陽の金銀を奪い洛陽を焼き払うなどの悪逆の限り
を尽くします。

 長安に逃れた董卓を追って、曹操が追撃するが敗退してしま
います。深追いしすぎたこともありますが、あの曹操軍がやぶ
れるほど董卓軍の軍事力は強力だったのでしょう。

 しかし、董卓は外からではなく内部から崩壊します。
ついに父子の誓いをした呂布に裏切られて殺されます。
あまりの人望のなさが董卓の命脈をたちました。

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■三国志ランキング

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第1位 諸葛亮の羽扇 147票−
第2位 携帯ストラップ 111票↑
第3位 各武将の武器 80票−
第4位 カレンダー 75票↑
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<商品別売上ランキング! (2002.8.31付)>
第1位 関羽 ↑
第2位 太史慈 (3週連続!2位)
第3位 曹操 (2週連続!3位)
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<ごひいき武将ランキング! (2002.8.31付)>
第1位 呂布 78票 ↑
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第3位 郭嘉 67票 ↑
第4位 劉備 62票 ↓
第5位 周瑜 53票 −

<毎月変わる三国志の質問【一番は誰だ!アンケート】>
第三回
三国志で一番長生きしてほしかったのは誰?(8月度)
第1位 ホウ統 106票
第2位 呂布 49票
第3位 郭嘉 30票
第4位 孫策 22票
第5位 周瑜 21票
第6位 張苞 9票
第7位 関興 9票
第8位 典韋 3票

ホウ統が圧倒的でした!

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【月刊】三国志英傑群像通信 第2回


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【月刊】三国志英傑群像通信
第2回
2002年8月1日

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■三国志戦争辞典 第1回 (戦争の内容改定:2004.2.7)

三国志といえば戦国時代です。さまざまな戦争がありました。
ここでは三国志の時代の有名な戦さについて
ご紹介してまいります。

:::::::< 黄巾(こうきん)の乱 >::::::::

[おもな登場人物]
 劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)
 曹操(そうそう)・孫堅(そんけん)

 張角(ちょうかく)

[おもな地名]
 青洲(せいしゅう)

[勢力]
 後漢(ごかん)      正規軍
 黄巾軍(こうきん)=太平道 (たいへいどう) 反乱軍

184年
後漢(ごかん) 時代末期

三国時代のきっかけとなっていく
最初の戦い・反乱が黄巾(こうきん)の乱です。

日本で戦国時代のはじまりが
応仁(おうにん)の乱であったように三国時代のはじまりが
黄巾(こうきん)の乱といってもよいでしょう。

太平道の教祖 張角(ちょうかく)を中心として

”蒼天すでに死す  黄天まさに立つべし
 歳は甲子に在りて 天下大吉”

(分かりやすくいえば 朝廷に変わって太平道が天下を取る)

をスローガンに腐敗政治への不満から中国各地で
農民を中心に黄色い布を頭にまいて一斉蜂起を起こし
官府を襲いました。
いつの時代も腐敗政治はつきものです。

この蜂起を静めるべく”黄巾軍討伐”の名のもとに
三国志の群雄が登場し力を蓄えていきます。

この時、後に魏呉蜀の三国の礎となる
曹操(そうそう)29歳、孫堅(そんけん)27歳、劉備(りゅうび)23歳
でした。

そしてこの時、劉備は後に死ぬまで一緒に戦うこととなる
文武両道の関羽(かんう)、一騎当千の張飛(ちょうひ)と
意気投合して義兄弟となるのでした。
桃園の結義(とうえんけつぎ)とよびます。

太平道は数十万の信者をしっかりとした軍隊に組織しました。
3月5日を蜂起の日と計画していましたが
計画が漏れて2月に蜂起を早めます。

初めは優勢でしたが張角自身が病にかかり亡くなるって
しまったこともあり年内には主力は鎮圧されました。
しかし、以後残党が20年余りにおよび残ったようです。

青洲(せいしゅう)で討伐した精鋭の黄巾軍を曹操は配下におさめ
”青州兵”として大きな力とするのでした。

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第3位 各武将の武器 ↑ (検討中) 45票
第4位 携帯ストラップ↓ 39票
第5位 カレンダー  ↓ 38票

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第1位 趙雲 − (2週連続!1位)
第2位 太史慈− (2週連続!2位)
第3位 曹操 ↑
第4位 関羽 ↓
第5位 諸葛亮↓

<ごひいき武将ランキング! (2002.7.18付)>
第1位 劉備↑ 54票
第2位 郭嘉↑ 45票
第3位 呂布↑ 44票
第4位 趙雲↓(商品化) 33票
第5位 周瑜↑ 29票

<毎月変わる質問【一番は誰だ!アンケート】>
第二回
 五虎将軍の中で一番活躍したのは誰?(7月の質問)
第1位 趙雲 64票
第2位 関羽 58票
第3位 馬超 16票
第4位 黄忠 7票
第5位 張飛 6票

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