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【月刊】三国志英傑群像通信 第8回
2月 1st, 2003 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第8回 2003年2月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■三国志戦争辞典 第7回 三国志といえば戦国時代です。さまざまな戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについて ご紹介してまいります。 :::::::<袁一族滅亡戦(202-206)>:::::::: 官渡の戦いの後、曹操が袁一族を滅ぼす戦いです。 このあたりの話はあまり紹介されないので 袁一族滅亡の戦いをご紹介することにします。 官渡の戦いで袁紹に勝利した曹操は あまり深追いせず劉備討伐に向かいます。 袁紹は敗れたことで自領土の内に反乱が起きます。 なんとか反乱を押え、地盤を固めなおして 再起をかけて曹操と対峙しようとしたまさにその時。 202年、袁紹は病死してしまいます。 これに乗じて曹操はすかさず兵を動かします。 袁紹には子が三人(袁譚・袁熙・袁尚)おり 後継者を決めずに他界したため 曹操が攻めて来るにもかかわらず後継者争いが起こります。 このことが袁一族の崩壊をより早めてしまう事になります。 このあたりは日本の戦国時代毛利元就が 息子三人にお互い協力しあうように”三本の矢”の訓えの 様な事を袁紹が行っていれば、もう少しまともな戦いと なった事と思われます。 基本的に後を継ぐべき長男の”袁譚”になるべきところです。 しかし、袁譚が本拠地から離れた青州にいる間に 生前の袁紹の意向や反対派の策略も有り三男の”袁尚”が 無理やり後を継いでしまいます。 当然、兄弟間に対立が起こります。 しかし曹操が攻めてきていることも有り 先陣として”袁譚”が迎え撃つ事になります。 後を継いだ袁尚は兄・袁譚に兵を与えたくないため 少数の兵をあたえるのみで、袁尚自らが出兵します。 こんな関係ですから協力関係も生じず曹操に惨敗します。 ”黎陽”を落とした曹操は一転”荊州”攻撃に向かいます。 また、この間に袁兄弟は協力する所か 戦いを始めてしまいます。 さすがに少数の兄・袁譚は敗れて平原で 曹操に降伏し助けを求めます。 曹操は大義名分を得て再度出兵。 袁尚は曹操軍がきているにもかかわらず本拠地のギョウは 審配に任せて平原にいる兄・袁譚を攻めに向かいます。 曹操はその機を逃さず”ギョウ”に向かいます。 位置的には袁尚の本拠地”ギョウ”を中心に 東に平原の袁譚、南に曹操という位置取りです。 ”ギョウ”攻撃は三ヶ月近く篭城が続き、 袁尚軍が兵1万をもって助けに戻りますが 曹操軍にやぶれてしまいます。 そのため、遂に”ギョウ”も開城し、敗れた袁尚は 幽州の次男”袁煕”のもとに逃げ込みます。 曹操は”ギョウ”を落とすと降伏はしている袁譚の 存在が脅威になる前に謀殺してしまいます。 幽州の次男”袁煕”では曹操に歯が立たず 公孫康のもとに袁尚・袁煕兄弟は逃げ込みますが 公孫康も曹操の脅威の前に二人を斬ります。 こうして名門 袁一族は 滅びることになりました。 曹操はこのことで中国の半数近くを領土に収めることなり、 名実共に最大の勢力となるに至ります。 ******************************************************** ■三国志ランキング 三国志に関するさまざまなランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 http://www.chugen.net/ranking/index.html なお、不正投票は補正させて頂いております。 <ご希望商品ランキング! (2002.2.1付)> 第1位 諸葛亮の羽扇(5ヵ月連続トップ) 284票 第2位 携帯ストラップ − 192票 第3位 下敷き − 157票 第4位 各武将の武器 − 108票 第5位 カレンダー − 102票 <商品別売上ランキング! (2002.2.1付)> 第1位 関 羽 − 第2位 張 遼 ↑ 第3位 趙 雲 ↓ 第4位 五虎将 ↑ 第5位 曹 操 ↓ <ごひいき武将ランキング! (2002.2.1付)> 第1位 関 羽(5ヵ月連続トップ) 212票 第2位 劉 備 - 146票 第3位 趙 雲 - 142票 ...more »