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【月刊】三国志英傑群像通信 第6回

12月 1st, 2002 at 00:00 » Comments (0)

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第6回 2002年12月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■三国志戦争辞典 第5回 三国志といえば戦国時代です。さまざまな戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについて ご紹介してまいります。 :::::::< 官渡の戦い >:::::::: (その1) 200年 河北を平定した名門の袁紹とエン州・豫州を基盤とし、 献帝を擁立して着々と勢力拡大を図る曹操が、 官渡において激突します。 まさに曹操が魏の基盤を作り上げた天下分け目の戦いです。 当時、袁紹の治める河北はさほど戦乱の被害も少なく、 「1州だけで人口百万、精鋭三十万」と賞されていました。 一方、曹操の治める河南は”黄巾の乱”の中心地となり、 戦乱や飢餓で苦しむ人々が大勢いました。 こうした勢力の違いは袁紹軍十数万に対し曹操軍一万という 兵力差となって現れます。 当初、まず袁紹が軍を動かしますが、曹操が機敏な対応をし、 先制攻撃を仕掛けます。 この当たりは、日本の織田信長と今川義元の桶狭間を彷彿します。 その後、張繍が降伏すると曹操は自ら官渡に軍を進めます。 しかしその折、董承や劉備たちの曹操暗殺計画が露見します。 曹操は袁紹との対決を控えながらも自らそれに加担した劉備を 徐州で討伐します。 当然、袁紹の大軍を決戦を控えた時期で反対も多く出ましたが、 「後に天下を争うのは劉備である」とし、郭嘉の賛成もあり、 自ら劉備を討伐し関羽を捕虜とします。 一方、袁紹軍にとっては攻勢にでる絶好のチャンスと 田豊が進言しますが、袁紹の優柔不断な性格が災いして、 子供の病気を理由に兵を動かしませんでした。 そればかりか袁紹は、進言を繰り返す田豊を投獄し、同調する 沮授の軍勢も取り上げてしまいます。 ここがまさに”その時歴史が動いた” 袁紹敗北の判断ミスの時でした。 (その2に続く) ******************************************************** ■三国志ランキング 三国志に関するさまざまなランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 http://www.chugen.net/ranking/index.html <ご希望商品ランキング! (2002.12.1付)> 第1位 諸葛亮の羽扇(5ヵ月連続トップ) 262票 第2位 携帯ストラップ −       187票 第3位 下敷き     − 136票 第4位 各武将の武器  − 101票 第5位 カレンダー   − 99票 <商品別売上ランキング! (2002.12.1付)> 第1位 関 羽 ↑ 第2位 趙 雲 ↑ 第3位 曹 操 ↓ 第4位 太史慈 − 第5位 諸葛亮 − ...more »