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三国志英傑群像通信【月刊】第35回
5月 1st, 2005 at 12:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第35回 2005年5月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ 三国志戦争辞典 第34回 ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第34回
4月 1st, 2005 at 12:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第34回 2005年4月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ 三国志戦争辞典 第33回 ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第33回
3月 1st, 2005 at 12:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第33回 2005年3月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ 三国志戦争辞典 第33回 ■ 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 :::::::: < 魏対呉蜀連合戦 > :::::::: [勢力] 魏(ぎ) 呉(ご) 蜀(しょく) [おもな登場人物] 魏(ぎ) 曹叡(そうえい) ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第32回
2月 1st, 2005 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第32回 2005年2月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ 三国志戦争辞典 第32回 ■ 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 :::::::: < 燕国興亡戦 > :::::::: [勢力] 燕(えん) 魏(ぎ) 呉(ご) 蜀(しょく) [おもな登場人物] 燕(えん) 公孫淵(こうそんえん) 魏(ぎ) 曹叡(そうえい) 司馬懿(しばい) 母丘倹(かきゅうけん) 呉(ご) 孫権(そんけん) 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) [おもな地名・場所] 遼東(りょうとう) 遼水(りょうすい)[河] 襄平(じょうへい) [位置関係地図[簡易]] ────────────┐ │ │<高句麗> <魏> │<燕> │ │ ├─┐ ┌──┤ │ │ │ └───┘ ------------------------------------------------- 237年6月 魏(ぎ)に属していた遼東(りょうとう)[魏の北東]の 公孫淵(こうそんえん)が独立を宣言しました。 それよりも以前、もともと野心家の公孫淵は かねてより太守の地位が不満で魏に対して反乱を 計画し呉(ご)の勢力につこうとした事がありました。 呉の孫権(そんけん)も公孫淵を”燕王”に任じて よしみを通じようとします。 しかし、呉からの地位や宝に不満があったのか? もとより裏切る作戦だったのか? それとも気が変わりやすいのか? いきなり180度方針を変えて呉の使者を殺し その首を魏へ送り届けました。 魏も事を丸く収めるために公孫淵には 新たな地位と爵位を与え、一時話しは 収まったかの様にみえました。 しかし、公孫淵は魏より与えられた新たな地位にも 不満を持ち、不穏な動きを続けます。 諸葛孔明(しょかつこうめい)が亡くなり 蜀(しょく)との戦いも落ち着いた 魏の皇帝曹叡(そうえい)は公孫淵を都に呼んで 査問すべく、母丘倹(かきゅうけん)の部隊を 公孫淵のもとに送ります。 当然、公孫淵は都に上ることを承知せず両者の間で 戦いが始まります。 ちょうど長雨の為、遼水(りょうすい)[河]が氾濫し、 その被害をもろに受けた母丘倹の部隊は撤退を 余儀なくされました。 この勝利をいいことに公孫淵は 周囲の反対を押し切り 三国時代で四つ目となる国”燕(えん)”を 立ち上げ独立をはたし皇帝を称したのです。 238年 魏は直ちに諸葛孔明を防ぎきった天才軍師 司馬懿(しばい)を討伐部隊として送り込みます。 両軍は遼水を挟み東西に対峙します。 燕は強固な陣をひいていました。 司馬懿は敵の南側にあたる部分に軍旗だけをならべ 偽装の部隊を作ります。 それを知らない燕軍の主力は魏の南側へと 攻めかかりました。 その隙に司馬懿は軍を北より進め、河を渡たり 兵の少ない燕の本拠地襄平(じょうへい)へ 向かいます。 公孫淵自ら出陣してきたところを打ち破ります。 また南側に向かっていた燕の主力部隊も転進して魏に 追撃をかけますが司馬懿の待ち伏せにあい敗北、 襄平へ引き上げます。 司馬懿は襄平の城を囲み魏の勝利はすぐかと思われ ましたが、またも魏軍は長雨に悩まされます。 司馬懿は包囲を解くことを許さず長雨の 止むのをじっと待ち続けました。 それに耐えられず陣を移した仇連(きゅうれん)を ただちに処刑することで軍の士気を引き締め、 長雨が止んだところで総攻撃を行います。 兵糧も尽き負け戦となった公孫淵は降伏を願え出ます。 しかし、司馬懿は話しが信用できないと拒絶。 公孫淵が逃げ出したところを捕らえ処刑します。 また、反乱の見せしめとして幹部のみならず 15歳以上の男子は全て処刑されました。 呉との約束をやぶり世の信用をなくした 無謀な君主のために 大きな犠牲が払われた瞬間でした。 これにより燕は建国一年で滅ぶこととなりました。 <おまけ> ”燕”滅亡の数ヵ月後、魏と朝鮮半島の往来が活発になり 日本の邪馬台国からも魏に使者が送られます。 その記録は”魏志倭人伝”となって残りました。 ”燕”がすぐに滅んでいなければ ”魏志倭人伝”は存在しなかったかもしれません。 (おわり) *************************** ■ 三国志ランキング ■ 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html ●ご希望商品ランキング! (2005.2.1付)● →商品化を望む商品のランキング 第1位 466票 諸葛亮の羽扇 [商品化] 第2位 308票 下敷き [商品化] 第3位 260票 携帯ストラップ [商品化] 第4位 ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第31回
1月 1st, 2005 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第31回 2005年1月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ 三国志戦争辞典 第31回 ■ 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 :::::::: < 第五次北伐 > :::::::: [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 魏(ぎ) 曹叡(そうえい) 司馬懿(しばい) 呉(ご) 孫権(そんけん) [おもな地名・場所] 泰嶺(しんれい)山脈 五丈原(ごじょうげん) 合肥新城(ごうひしんじょう) [位置関係地図[簡易]] <魏> ・陳倉 ・五丈原 ・長安 泰嶺山脈 ────────┐ ・漢中 │ <蜀> ├─────── │ <呉> [前回のあらすじ] 231年 蜀(しょく)を背負う諸葛孔明(しょかつこうめい) が宿敵 魏(ぎ)に対して4度の北伐を実行しますが いまだその目的を達するには至りませんでした。 ------------------------------------------------- 234年2月 総勢10万、蜀の諸葛亮は五度目の北伐を決行すること なります。 ルートは真中から魏の領土へ向かうルートである斜谷道。 険しい泰嶺(しんれい)山脈を越えるルートでもある この道を順調に進み無事通り抜けます。 そして平地である五丈原(ごじょうげん)に布陣しました。 当然補給の面でこの泰嶺山脈を超えて物資を送り続ける事は 困難であることは諸葛亮も計算していました。 まず、第四次北伐の時に使った木牛に加え 新兵器 流馬(りゅうば)を使い輸送手段を確保すると 共に、五丈原において農作を行いその場での 食料調達の準備も行いました。 これは長期戦に備えての事でした。 魏も30万の軍を用意して 司馬懿を司令官として送り込みます。 司馬懿は長安と五丈原の間に布陣し、砦を築きました。 魏もまた長期戦を考えていました。 司馬懿には皇帝曹叡(そうえい)からも ”堅く守るのみで攻めてはいけない”との命令が でていました。 過去4度の蜀に対する敗退で 魏は完全に守りに徹する策を選んだのでした。 両軍はにらみあったまま ほとんど動かず小競り合いがおきる程度。 諸葛亮も魏の出撃を誘い出すさまざまな 行動に出ますが魏は応じずません。 相手の動きに対して虚を突く軍事行動を起こすことが 得意な諸葛孔明としては 危険をおかして敵軍に対して突撃することは 出来ませんでした。 この戦いでの敗退は軍事力の小さい蜀にとって 即、蜀の滅亡に繋がりかねないのです。 234年5月 そんなおり、前回のお話である 呉(ご)と魏の戦い[合肥新城での戦い]がおきます。 蜀と同盟関係にある三国の一つ 孫権(そんけん)率いる呉が魏へ攻め込みます。 しかし呉は惨敗し撤退。合肥新城での戦いは 魏と蜀の戦いにたいした変化をもたらすことなく 幕を閉じます。 234年9月 蜀と魏が睨み合う事100日以上 秋の風が吹き冬の足音が聞こえようかとする時期。 変化は突然訪れます。 激務がたたった諸葛亮は突然倒れてしまいます。 234年10月 諸葛亮は床に伏したまま 帰らぬ人となってしまいました。 ただ、諸葛亮の死の際には 今後の軍事行動や方針、後継者など遺言されており、 蜀は整然と撤退を始めます。 諸葛亮の死を知った司馬懿も追撃を行いますが 突然の蜀の反転・反撃具合に まだ諸葛孔明は死んでいないのではと考え 追撃を中止し撤退しました。 これが後に 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という 名言となって残りました。 時に、孔明54歳。 遂に劉備以来の蜀の悲願である魏の討伐は 諸葛孔明の死を持って一時終わりを迎えました。 三国志の時代も新たな世代へと 物語はうつっていきます。 (おわり) *************************** ■ 三国志ランキング ■ 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html ●ご希望商品ランキング! (2005.1.1付)● →商品化を望む商品のランキング 第1位 諸葛亮の羽扇 464票 商品化 第2位 下敷き 307票 商品化 第3位 ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第30回
12月 1st, 2004 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第30回 2004年12月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ 三国志戦争辞典 第30回 ■ 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 :::::::: < 合肥新城の戦 > :::::::: [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) 鮮卑(せんぴ) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 魏(ぎ) 曹叡(そうえい) 満寵(まんちょう) 司馬懿(しばい) 秦朗(しんろう) 呉(ご) 孫権(そんけん) 孫韶(そんしょう) 陸遜(りくそん) 諸葛瑾(しょかつきん) 鮮卑(せんぴ) 歩度根(ほどこん)軻比能(かひのう) [おもな地名・場所] 合肥新城(ごうひしんじょう) 淮陰(わいいん) 江夏(こうか) [位置関係地図[簡易]] │ <鮮卑> └───────────── │ ・長安 <魏> │ ・淮陰│ ・合肥新城 │ ────┐ ┌───────────┤ ・漢中 │ ・江夏│ ・建業 │ <蜀> ├─────┘ │ │ <呉> │ [前回のあらすじ] 231年 蜀(しょく)を背負う諸葛孔明(しょかつこうめい) が宿敵 魏(ぎ)に対して 「三度目の正直」とはならず4度までも 北伐を実行しますが優勢に事を進めるものの いまだその目的を達するには至りませんでした。 ------------------------------------------------- 233年冬 諸葛亮は北伐を開始してすでに四度。 それから三年という日々を費やして 蜀は新たな魏との戦いのために準備してきました。 そして遂に五度目となる北伐を開始しようとする直前。 今は蜀と同盟関係にある 呉の孫権(そんけん)が 蜀に呼応する形で先に魏に攻め込みました。 呉は軍を3つにわけて 三方から攻め入りました。 孫権自らも兵を率い、合肥新城(ごうひしんじょう)へ 孫韶(そんしょう)軍は淮陰(わいいん)へ 陸遜(りくそん)・諸葛瑾(しょかつきん)軍は 荊州から江夏(こうか)へ攻め込みました。 ここで呉にとっては大きな誤算が おきます。 蜀の北伐に対するために 対応が遅れると読んでいた 魏が即座に対応して行動を起こしたのです。 魏帝の曹叡(そうえい)自ら出陣し 呉の孫権軍にたいして援軍として 迎え撃ってきました。 孫権軍に対して魏の前線では 満寵(まんちょう)が迎え撃ちました。 孫権は城の包囲を狙いますが 呉の主力は水軍なので 水軍の集まれるところより遠い 新城へは包囲をかけるまでには いたっていませんでした。 満寵は必ず呉は船を出て 上陸してくると考えて、 篭城に徹しているように見せかけ 孫権軍が船から出て上陸した時を攻撃すべく 伏兵6千を準備します。 満寵の予想通り、 孫権軍は船から上がり上陸を始めました。 そこを伏兵として待ち構えた 満寵軍6千が攻撃を仕掛けます。 この攻撃に呉の兵は浮き足立ってパニックになり 収拾がつかなくないまま 孫権軍は惨敗をきすこととなりました。 また別働隊である 陸遜・諸葛瑾の部隊も敗退しました。 陸遜は主力の孫権ぐんと一緒に 軍を建て直し魏にあたる策を考え 孫権に対して使者を送りますが その使者が捕まり 作戦がすべて魏の知る事となりました。 これ以上戦うのは無駄と考えた 陸遜の意見により 呉は早々に撤退をはじめます。 魏も深追いすることなく 呉の敗退で合肥新城の戦いは幕を閉じます。 まさにこれから魏へ攻め入ろうとする 蜀の孔明にとってはあまりにも早い 呉の撤退に落胆せざるを得ませんでした。 (おまけ) この年、北方の鮮卑(せんぴ)族の 歩度根(ほどこん)という武将と 蜀と通じている鮮卑(せんぴ)族の 軻比能(かひのう)が 結託し魏に対して反乱を起こしました。 魏の先行部隊は鮮卑同盟軍に破れますが 魏帝 曹叡の送り込んだ秦朗(しんろう)率いる 中央の精鋭軍の前にあっけなくやぶれて 降伏しました。 呉や鮮卑族の戦い いかんでは 蜀の孔明も北伐を有利に進めるチャンスが あったかもしれないこの戦い、 魏の底力を知る出来事となりました。 (おわり) *************************** ■ 三国志ランキング ■ 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html ●ご希望商品ランキング! (2004.12.1付)● →商品化を望む商品のランキング 第1位 諸葛亮の羽扇 462票 商品化 第2位 下敷き 305票 商品化 第3位 携帯ストラップ 252票 商品化 第4位 武将のフィギア 190票 第5位 カレンダー 178票 商品化 第6位 武将の武器 173票 商品化 第7位 武将のキーホルダー 140票 第8位 武将ぬいぐるみ ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第29回
11月 1st, 2004 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第29回 2004年11月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ 三国志戦争辞典 第29回 ■ 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 :::::::: < 第四次北伐 > :::::::: [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) 鮮卑(せんぴ) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 魏延(ぎえん) 高翔(こうしょう)、 呉班(ごはん) 劉備(りゅうび) 魏(ぎ) 司馬懿(しばい) 郭淮(かくわい) 賈ク(かく) 魏平(ぎへい) 郭淮(かくわい) 張コウ儁乂(ちょうこうしゅんがい) [おもな地名・場所] 長安(ちょうあん) キ山(きざん) 下弁(かべん) 漢中(かんちゅう) 天水(てんすい) [位置関係地図] ・涼州 │ <魏> │ ・天水 ・長安 │・キ山 ・下弁└───────┐ <蜀> ・漢中 │ [前回のあらすじ] 230年 蜀の皇帝 劉備(りゅうび)・蜀漢五虎将軍 亡き後 蜀(しょく)を背負う 諸葛孔明(しょかつこうめい) が宿敵 魏(ぎ)に対して 三度の魏への北伐を実行しますが 優勢に事を進めるものの いまだその目的を達するには至りませんでした。 ------------------------------------------------- 231年2月 諸葛亮は4度目の魏への戦いに挑むこととなります。 彼は過去三度の反省からかの有名な秘密兵器を生み出します。 「木牛(もくぎゅう)」「流馬(りゅうば)」と呼ばれる 輸送用の四輪車と一輪車です。 彼は兵糧補給の弱点を克服すべくこれらを開発しました。 (なお、諸葛亮はこのように戦略戦術だけでなく 防具・武具にいたるまで研究していたといわれています。 実際晋代における鎧は孔明の開発したものが あまり進化せず使われていたといわれています。) 蜀の漢中(かんちゅう)から魏の長安(ちょうあん)へ 向かうコースは5つ。その中で諸葛亮は 今回の侵攻のコースを第一次北伐と同じ 関山道をとおる一番遠いルートを選択します。 下弁(かべん)からキ山(きざん)攻略を 目指します。<位置関係地図参照> キ山では賈ク(かく)と魏平(ぎへい)が守る城を 包囲します。 また西方の異民族 鮮卑(せんぴ)からも援軍を 取り付けて、長安の北方よりかく乱のための攻撃を させることに成功します。 魏の司令官は曹真(そうしん)亡き後 司馬懿(しばい)がついていました。 長安から司馬懿は準備を整えて出撃します。 諸葛亮は隊を城の包囲軍と司馬懿迎撃軍の2つにわけます。 魏の先遣部隊の郭淮(かくわい)をなんなく撃破。 その勢いのまま司馬懿の主力と当ろうとした矢先 司馬懿は軍を天水(てんすい)の城に立てこもり 持久戦にでました。 これにより兵糧・兵力共にある魏は蜀の攻勢を 押しとどめることに成功します。 また、鮮卑による蜀への援護攻撃は大きな成果を得るには 至りませんでした。 打って出てこない魏に対し遠征軍の蜀は兵糧のこともあり 一部撤退を余儀なくされます。 蜀の撤退に対し、魏では司馬懿の消極姿勢に不満が起こり 司馬懿の思惑とは別に追撃をせざる得なくなります。 231年春 ついに防衛一方の魏の主力が追撃に動き出します。 しかし、蜀の諸葛亮はそれを予期していたのか 冷静に動き、魏延(ぎえん)、高翔(こうしょう)、 呉班(ごはん)の精鋭部隊を当らせて 魏軍を完膚無きまでに打ち破ります。 この敗戦により司馬懿率いる魏軍は 完全な防御を固め持久戦を決め込むことしました。 当然将兵からも不満はおきませんでした。 持久戦が続き、遂に蜀の兵糧はそこをつき 木牛の効果もあまりでないまま補給が続かず あえなく諸葛孔明は全軍撤退を決定します。 これをみた司馬懿はこれこそ追撃のチャンスと 歴戦の名将張コウ儁乂(ちょうこうしゅんがい) に追撃命令をだします。 張コウは異論を唱えますが容れられずに 追撃を開始します。 (三国志演義では張コウ自らの意思で追撃します。) 当然これも諸葛亮の計算の内にあり 伏兵を用意していました。 張コウは伏兵の矢にあたり戦死します。 この時、張コウ50歳でした。 名将の死に魏軍は追撃をあきらめ 蜀軍は無事帰途につきます。 この撤退により4度目の北伐も過去同様に 蜀軍は優位に戦い進めながらも あと一歩ならず悲願を達成できませんでした。 (おわり) *************************** ■ 三国志ランキング ■ 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html ●ご希望商品ランキング! (2004.11.1付)● → 商品化を望む商品ランキング 第1位 諸葛亮の羽扇 461票 商品化 第2位 下敷き 303票 商品化 第3位 携帯ストラップ 248票 商品化 第4位 武将のフィギア 181票 第5位 カレンダー 172票 商品化 ↑ 第6位 武将の武器 169票 商品化 ↓ 第7位 武将のキーホルダー 134票 第8位 武将ぬいぐるみ 116票 第9位 特大ポスター 95票 商品化 第10位 特大額装ポスター ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第28回
10月 1st, 2004 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第28回 2004年10月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ 三国志戦争辞典 第27回 ■ 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 :::::::: < 第三次北伐 > :::::::: [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 魏延(ぎえん) 魏(ぎ) 曹叡(そうえい) 曹真(そうしん) 郭淮(かくわい) 張コウ(ちょうこう) 司馬懿(しばい) 費瑤(ひよう) カク昭(かくしょう) [おもな地名・場所] 武都(ぶと) 陰平(いんぺい) 長安(ちょうあん) 斜谷道(やこくどう) 子午道(しごどう) 漢中(かんちゅう) 涼州(りょうしゅう)羌中(きょうちゅう) 宛(えん) [位置関係] ・涼州 │ <魏> │ ・長安 └───────┐ <蜀> ・漢中 │ [前回のあらすじ] 228年 蜀(しょく)の諸葛孔明(しょかつこうめい)は 魏(ぎ)に対する呉(ご)の勝利の報告を受けて 二度目の魏への北伐を実行します。 しかし、魏の将 カク昭(かくしょう)のまえに 大幅な侵攻は成功せず撤退するにいたりました。 ただし、蜀軍は魏軍の追撃を撃退し、 戦略上は重要でない武都(ぶと)と陰平(いんぺい)を 制圧し一矢を報いた形となりました。 ------------------------------------------------- 230年 魏は度重なる蜀の諸葛孔明の遠征に対抗すべく 新たに大都督となった曹真(そうしん)の進言で 先手をとって本格的に蜀への侵攻を開始しようとします。 曹真は長安(ちょうあん)を出発し 斜谷道(やこくどう)から、 司馬懿(しばい)・張コウ儁乂は宛(えん)を 出発し子午道(しごどう)から、 ともに漢中(かんちゅう)を目指し侵攻を開始します。 (魏による第一次南伐) 両軍は漢中(かんちゅう)で合流する 予定となっていました。 これは魏が準備して攻撃に出た戦いであり 戦力は圧倒的に魏のほうが多く 蜀最大のピンチというべき事態でした。 しかし、運悪くこの時長雨が続き 降り止むことをせず、一ヶ月以上降り続きました。 そのため魏軍は進退ままならない状態がつづき 漢中に集合することができず、孤立状態となります。 この頃、蜀軍はというと 第一次北伐より諸葛孔明と魏延(ぎえん)が 長安への進軍ルートでの意見の相違から 二人の間には徐々に溝ができており 魏延は別働隊として独自の作戦行動を望んでいました。 そしてちょうどこの時、諸葛亮は魏延に望みどおりに 別働隊として西方の涼州(りょうしゅう)方面の 羌中(きょうちゅう)への侵攻をまかせていた所 だったのです。 (蜀による第三次北伐) 魏延はわずかな期間で羌中をみごとに奪い、凱旋の途中に 魏の侵攻部隊と遭遇します。 諸葛亮は援軍を率いて駆けつけ挟撃をし 費瑤(ひよう)と郭淮(かくわい)を破ります。 こうして孤立した各部隊を 蜀軍が各個撃破する作戦をとったことで、 浮き足立った魏軍は各地で敗戦を重ねる事となります。 それを聞いた魏の明帝(曹叡(そうえい))は 作戦中止命令をだします。 これにより、天候を味方につけた蜀の勝利となりました。 魏の南伐は失敗、蜀の北伐はある程度は成功。 しかし、魏延の素晴しい活躍はあったものの 第二次北伐時の武都・陰平攻略と同様に 戦略的にあまり重要でない涼州を奪ったところで 魏と蜀の戦力バランスはあまり変わることは ありませんでした。 (おわり) *************************** ■ 三国志ランキング ■ 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html ●ご希望商品ランキング! (2004.10.1付)● → 商品化を望む商品ランキング 第1位 諸葛亮の羽扇 461票 商品化 第2位 下敷き 302票 商品化 第3位 携帯ストラップ 247票 商品化 第4位 武将のフィギア 179票 第5位 カレンダー 169票 商品化 ↑ 第6位 武将の武器 167票 商品化 ↓ 第7位 武将のキーホルダー 133票 第8位 武将ぬいぐるみ 116票 第9位 特大ポスター 92票 商品化 第10位 特大額装ポスター 90票 ●武将別 ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第27回
9月 1st, 2004 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第27回 2004年9月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ <トピックス> ■ごあいさつ ■三国志戦争辞典 ■三国志ランキング ■イベント情報 ■商品情報 ■担当者のつぶやき ***************************** ■ ごあいさつ ■ いつもご購読ありがとうございます。英傑群像の担当岡本です。 まさに夏ばてと時差ぼけでバテバテの毎日で眠れない毎日です。 というわけで数日ハイテンション気味です。 8/15の三国志城オフ会”三顧会”は アットホームな雰囲気の中 無事終了し、ほっとしています。 当日はあいにく午前中雨でしたが、午後には止みました。 たくさんの方と出会える素晴しい機会でした。 また次回も三国志城オフ会開催することになりましたので 今回来れなかったは是非、次はご参加ください。 *オフ会の模様に興味がある方は 個別にメールください。専用サイトお教えします。 ***************************** ■ 三国志戦争辞典 第26回 ■ 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 :::::::: < 第二次北伐 > :::::::: [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 趙雲(ちょううん) キン[革斤]詳(きんしょう) 陳式(ちんしょく) 魏(ぎ) 司馬懿(しばい) 曹休(そうきゅう) カク昭(かくしょう) 王双(おうそう) 呉(ご) 陸遜(りくそん) [おもな地名] 石亭(せきてい) 街亭(がいてい) 陳倉(ちんそう) 武都(ぶと) 陰平(いんぺい) [前回のあらすじ] 228年、呉(ご)の策略によりおびき出された 魏は石亭(せきてい)という場所で 呉の総大将 陸遜(りくそん)の伏兵と火計により 大ダメージをうけ敗退しました。 なんとか生き延びた魏の将 曹休(そうきゅう) でしたが、翌年には失意のうちに病死します。 これにより魏は大きなダメージを受けました。 - - - - - - - - - - - - - - - - 228年 諸葛孔明(しょかつこうめい)は呉の勝利の 報告を受けて再度魏への北伐を決意します。 しかし出兵を前にして訃報がもたらされます。 蜀の歴戦の勇にして最後の五虎将である 趙雲(ちょううん)が逝去します。 諸葛孔明は片腕の将軍が亡くなった事を大いに 嘆きます。 諸葛孔明は再度”出師の表”を書いて 戦いへの意気込みを述べます。 (後出師の表:存在しないとの説も有) 前回の戦いで蜀は北方の街亭(がいてい)付近を 完全に魏に奪われていました。 諸葛亮としては 前回 囮部隊として亡き趙雲が攻めた 陳倉(ちんそう)へ向かう陳倉道を 進むことを決定します。 魏にもこのことを先に予見して準備をしている 人物がいました。 第一次北伐で蜀を敗北に導いた男 司馬懿(しばい)です。 彼は事前に陳倉に突貫工事ながら強固な城を 作らせていました。(陳倉城) また、攻城戦において守りには 弓弩が必須であるとの事からそこに弓の名手である カク昭(かくしょう)を抜擢します。 いわば守りの達人を配置したわけです。 赴任した彼は堀を深くし、塁を高くし防備を高めます。 11月 孔明は迅速に数万の兵で陳倉城に迫り 城攻めにかかります。 陳倉城を守る兵は千人あまりしかなく、 また魏は先の呉との大敗で援軍をすぐに 出すこともままならない状況でした。 孔明はまず謀略戦に出ます。 カク昭の親友である蜀の将 キン[革斤]詳(きんしょう) を遣わして降伏と帰順をときました。 しかし、カク昭は首を縦に振らず交渉は決裂。 諸葛亮は強硬手段をとるに至ります。 諸葛亮はこの戦いで新兵器といわれる ・はしご車の「雲梯(うんてい)」、 ・大矢倉の「井闌(いらん)」 ・破城のための「衝車(しょうしゃ)」 などを駆使して攻め立てます。 カク昭はこれらの兵器が木製であることを みてとると、火矢や投石兵器などで応戦。 新兵器は無残にも燃えてしまいました。 蜀軍はただちにこの火に弱いという弱点を克服すべく 泥や糞尿を塗って防火対策を施した改良兵器で 攻めかかります。 しかし、20日あまりもの攻城戦にも関わらず 城は落ちませんでした。 孔明は補給の限界と敵の援軍の到来で 撤退をすることを決断します。 こうして、二度目の魏への侵攻は兵力の面では 勝る蜀がカク昭と強固な陳倉城の前に 敗れ去ることとなりました。 また魏の援軍が到着し追撃を行いますが 魏の期待の新鋭 王双(おうそう)が魏延(ぎえん)に 討ち取られるという大失態をおかし 魏は追撃を諦め撤退します。 229年春 孔明は陳式(ちんしょく)を派遣して国境の都市 武都(ぶと)と陰平(いんぺい)を奪い 部分的勝利を得ます。 しかし、 これらの地はあまり大勢に影響の無い地で 諸葛孔明率いる蜀は、結局のところ大きな 成果は得ることは出来ませんでしたが、 一矢報いたという形にはなりました。 (おわり) *************************** ■ 三国志ランキング ■ 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html ●ご希望商品ランキング! (2004.9.1付)● → 商品化を望む商品ランキング 第1位 諸葛亮の羽扇 458票 商品化 第2位 下敷き 299票 商品化 第3位 携帯ストラップ 245票 商品化 第4位 武将のフィギア 176票 第5位 武将の武器 164票 商品化 第6位 カレンダー 163票 商品化 第7位 武将のキーホルダー 131票 第8位 武将ぬいぐるみ 116票 第9位 特大ポスター 90票 商品化 第10位 特大額装ポスター 89票 ●武将別 売上ランキング!(2004.9.1付)● 第1位 諸葛亮グッズ 連続優勝 第2位 郭嘉 ↑ 第3位 五虎将グッズ ↓ 第4位 馬超グッズ ↓ 第5位 関羽グッズ ↓ ●ごひいき武将ランキング! (2004.9.1付)● → なお商品化した武将は名誉武将として ランキング外としております。 第1位 ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第26回
8月 1st, 2004 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第26回 2004年8月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ 三国志戦争辞典 第25回 ■ 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 :::::::: <石亭の戦い > :::::::: [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) 呉(ご) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい)、馬謖(ばしょく) 魏(ぎ) 司馬懿(しばい)、曹休(そうきゅう) 賈逵(かき)、張普(ちょうふ) 呉(ご) 陸遜(りくそん)、周魴(しゅうほう) 朱桓(しゅかん)、全[王宗](ぜんそう) [おもな地名] 街亭(がいてい) ハ陽(はよう)、[白完]城(かんじょう) 石亭(せきてい)、江陵(こうりょう) [前回のあらすじ] 227年、諸葛孔明(しょかつこうめい)率いる蜀(しょく)軍は 力を蓄え遂に魏(ぎ)に攻め入ります。 順調に勝ち進む蜀軍でしたが、魏軍の司馬懿(しばい)の まえに、守りの要 街亭(がいてい)を奪われ 蜀は撤退します。これで初の北伐は失敗に終わりました。 失敗の原因である武将馬謖(ばしょく)を 諸葛孔明は泣きながら処罰します。(泣いて馬謖を斬る) - - - - - - - - - - - - - - - - 同年、蜀と同盟関係である呉(ご)も魏に対して 動きを見せます。 この動きとは積極的に魏の領土攻め入るというものではなく 魏軍をおびき寄せて攻撃しダメージを与えるというのが 目的で、魏と今だ交戦関係にある蜀への援護射撃という意味 あいが強いものでした。 呉のハ陽(はよう)郡の太守 周魴(しゅうほう)は 呉がやがて滅ぶ理由を7つ挙げて魏に降りたいと申し出ます。 この7つの理由は説得力がありました。 魏の賈逵(かき)は罠だと主張するものの司馬懿が 罠でも乗る価値があるとし、魏は軍を動かします。 総大将には曹休(そうきゅう)を援軍には賈逵と司馬懿を おくりました。 周魴は途中自ら曹休を向かえます。 そこで自らの行動に嘘はないと主張し自らの首を切ろうとしたり、 武将にとって大事な髪を切り落としたりしたことで 曹休から大きな信用を得ます。 また計略であると主張した賈逵(かき)は謹慎処分と なりました。 その後、[白完]城(かんじょう)へ向かう途中の石亭(せきてい) という地まで案内したところで周魴の勧めで 魏は兵を休めます。 しかし当然これは呉の策謀であり 呉は陸遜(りくそん)を総大将に着々と応戦準備を整え この地で待ちぶせていました。 呉は朱桓(しゅかん)・全[王宗](ぜんそう)に 3万の兵を与え、曹休の陣の背後である 南側に回り込みます。 魏も万が一にそなえて伏兵を南側に準備していました。 しかし、魏の将 張普(ちょうふ)が 敵ときづかずに朱桓に一刀の元に切り殺され伏兵は失敗し、 火計と前後からの攻撃により魏は大ダメージをうけ、 魏は全軍敗退を余儀なくされました。 また江陵(こうりょう)に向かって進軍していた司馬懿も 敗戦の報を聞き、諸葛孔明の動向を案じ 早々に兵を引きます。 その後、曹休はなんとか生き延びますが、 翌年には失意のうちに病死しています。 こうして呉の作戦は大成功し 魏に大きなダメージを与えることに成功します。 それを聞いた諸葛孔明は 再度、魏への侵攻を模索していました。 (おわり) *************************** ■ 三国志ランキング ■ 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html ●ご希望商品ランキング! (2004.8.1付)● → 商品化を望む商品ランキング 第1位 諸葛亮の羽扇 457票 商品化 第2位 下敷き 296票 商品化 第3位 携帯ストラップ 241票 商品化 第4位 武将のフィギア 170票 第5位 武将の武器 160票 商品化 第6位 カレンダー 158票 商品化 第7位 武将のキーホルダー 126票 第8位 武将ぬいぐるみ 115票 第9位 特大ポスター 90票 商品化 第10位 特大額装ポスター 87票 ●武将別 売上ランキング!(2004.8.1付)● 第1位 諸葛亮グッズ ↑初優勝 第2位 五虎将グッズ ↓ 第3位 馬超グッズ - 第4位 関羽グッズ - 第5位 趙雲グッズ - ●ごひいき武将ランキング! (2004.8.1付)● → なお商品化した武将は名誉武将として ランキング外としております。 第1位 ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第25回
7月 1st, 2004 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第25回 2004年7月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■三国志戦争辞典 第24回 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 ::: < 第一次北伐 街亭の戦い その2> ::: [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 劉備(りゅうび)、魏延(ぎえん) 馬謖(ばしょく)、高翔(こうしょう) 魏(ぎ) 司馬懿(しばい) [おもな地名] 漢中(かんちゅう)、街亭(がいてい) [前回のあらすじ] 227年、諸葛孔明(しょかつこうめい率いる蜀(しょく)軍は 力を蓄え遂に魏(ぎ)に攻め入ります。 順調に勝ち進む蜀軍でしたが、魏軍では 左遷されていた司馬懿(しばい)が前線の指揮官と なったことで自体は一変します。 一時守りの戦いを余儀なくされた蜀軍、 守りの要の地 街亭(がいてい)を死守すべく 諸葛孔明は子飼いの知将 馬謖(ばしょく) を抜擢します。 228年 諸葛孔明は馬謖に2万の兵を与え歴戦の将 王平(おうへい)を 副将につけて布陣させます。 また、そのとき孔明は馬謖に対して ”かの地は険しい山々が連なる場所であるが 山に布陣してはいけない。街道を固めよ”と指示していました。 また、東側には高翔(こうしょう)を 後方には魏延(ぎえん)をつけて布陣させます。 街亭に着いた馬謖(ばしょく)は少なからず兵法に 通じていただけに、 三方を絶壁の山であるこの場所をみて 敵が現れたと同時に山より駆け下りて戦う方法のほうが 有利であると判断しました。 これは孔明の指示とは違うということで王平が止めますが 制止を聞かず王平の5千の兵を残し、みな山上に布陣しました。 到着した魏の司馬懿はこの布陣をみるや 王平の軍を孤立させると共に 水源を断って麓を10万もの大軍で囲み兵糧攻めにでます。 そして火攻めも実行されます。 予想外の展開に馬謖は疲れきった兵をまとめ山より駆け下りて 戦う方法を夜に実行しますが伏兵にあい惨敗。 ここまで順調に進んでいた蜀軍の遠征も撤退を余儀なくされます。 今は亡き蜀の君主劉備(りゅうび)は遺言の一つに ”自信過剰にすぎるため馬謖は重要な任につけてはならない。” と言い残していました。 劉備の心配は現実のものとなってしまいました。 漢中に戻った孔明は敗戦の責任者馬謖を軍規に照らして 非常に惜しみながらも処刑してしまいます。 有名な故事”泣いて馬謖を斬る”はこうして生まれます。 孔明も自らの官位を三階級落とすことで責任をとります。 228年、諸葛孔明率いる蜀軍の初めての魏への侵攻は 街亭での敗戦で失敗に終わりました。 (おわり) *************************** ■三国志ランキング 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html <ご希望商品ランキング! (2004.7.1付)> → 商品化を望む商品ランキング 第1位 諸葛亮の羽扇 453票 商品化 第2位 下敷き 294票 商品化 第3位 携帯ストラップ 237票 商品化 第4位 武将のフィギア 167票 商品化 第5位 武将の武器 158票 商品化 第6位 カレンダー 155票 商品化 第7位 武将のキーホルダー 119票 第8位 武将ぬいぐるみ 108票 第9位 特大ポスター 88票 商品化 第10位 ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第24回
6月 1st, 2004 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第24回 2004年6月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■三国志戦争辞典 第23回 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 ::: < 第一次北伐 街亭の戦い その1> ::: [勢力] 蜀(しょく) 魏(ぎ) [おもな登場人物] 蜀(しょく) 諸葛孔明(しょかつこうめい) 劉備(りゅうび)、 劉禅(りゅうぜん):劉備の子 張裔(ちょうえい)、蒋エン[王宛](しょうえん) 趙雲(ちょううん)、魏延(ぎえん) 馬良(ばりょう)、 馬謖(ばしょく) 孟達(もうたつ) 【五虎将軍(ごこしょうぐん)】 関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)・馬超(ばちょう)・ 黄忠(こうちゅう)・趙雲(ちょううん)のこと 魏(ぎ) 司馬懿(しばい)、姜維(きょうい) 夏侯楙(かこうぼう)、曹真(そうしん) [おもな地名] 夷陵(いりょう)、南方(なんぽう) 成都(せいと)、 漢中(かんちゅう) 子午谷(しごこく)、長安(ちょうあん) 安定(あんてい)、安南(あんなん) 天水(てんすい)、街亭(がいてい) 227年 蜀(しょく)の諸葛孔明(しょかつこうめい)は、 劉備(りゅうび)亡き後、夷陵(いりょう)の戦いで の大敗による損失を、南方(なんぽう)の異民族平定の成功に より国の建て直しに成功します。 これで蜀の大義名分である”漢(かん)王室復興”を実行すべく 魏(ぎ)に対して戦いを挑む準備が整いました。 諸葛孔明は自ら出兵するにあたり主君劉禅(りゅうぜん)に 対して、有名な名文”出師の表(すいしのひょう)” を提出します。(前出師ともいわれます) ここには孔明の劉備に対する恩義の気持ち、出兵への意気込み、 出兵して留守にする間の皇帝に対する戒めや 運用に関しての忠告が書かれていました。 孔明は成都(せいと)の守りと運営を 張裔(ちょうえい)と蒋エン[王宛](しょうえん) に任せ成都を出発し魏との最前線である漢中(かんちゅう) へ向かいます。 諸葛孔明はこの後、8年間もの長い間 成都に戻ることはありませんでした。 すでに五虎将軍(ごこしょうぐん)の4人は他界し、 有能な将といえるのは趙雲(ちょううん)と 魏延(ぎえん)しかいおらず、その他といえば 兄馬良(ばりょう)と共に参陣後、確実に実績を残し 頭角を現してきた諸葛亮孔明の愛弟子ともいうべき 馬謖(ばしょく)くらいでした。 227年夏 諸葛孔明はついに漢中より出陣します。 魏延は精鋭5千で最短の子午谷(しごこく)という道を とおり、長安(ちょうあん)を最短コースで攻めることを 進言しますが受け入れられませんでした。 諸葛孔明は一か八かの道よりも遠回りながらも 確実に領土を広げながら進軍する道を選んだのです。 魏は夏侯楙(かこうぼう)が総大将として対抗しますが、 先鋒の趙雲が5人の将を討ち取るという活躍や 孔明の綿密な作戦の前に 安南(あんなん)も蜀軍が奪取します。 夏侯楙自身も蜀に捕らえられてしまいます。 魏延は不満ながらも諸葛孔明の指示に したがい安定(あんてい)城を取り、また 天水(てんすい)を守備する若き名将 姜維(きょうい)の キ[北異]城をとるのに一役買います。 姜維は一騎打ちをすれば趙雲を引かせるほどの 槍の名手であり、知将でもありました。 姜維の敵ながらもその高い能力に 諸葛孔明は惚れ込み、姜維を生け捕りとし 味方にすることに成功します。 後に彼は諸葛孔明の軍事的な後継者へと なっていくこととなります。 次に魏は曹真(そうしん)を送り込みますが 趙雲・魏延の活躍もあり、 蜀に連戦連敗を喫してしまいます。 そこで最後の切り札として 魏は謹慎処分中である司馬懿(しばい)を召しだします。 孔明と馬謖は司馬懿の能力を恐れ、 戦いの直前に風評を流す策略により 彼を蟄居(謹慎処分)させる事に成功していたのでした。 その彼が出てくるとは蜀にとっては大きな 誤算だったことでしょう。 そしてこれにより戦局は一変します。 もともと蜀にいて魏に下っていた孟達(もうたつ)が 蜀の連勝に呼応して蜀に寝返りますが 任命されたばかりの司馬懿にすぐに鎮圧されてしまいます。 これを聞いた孔明は遠征中の蜀軍にとって要の地である 街亭(がいてい)の守備を固めさせます。 かならず司馬懿が攻めてくると考えたからです。 街亭を守る将として諸葛孔明は悩んだ末に 有能な後継者である馬謖を任命しました。 このことがのちに蜀にとって重大な 転換点となっていきます。 (つづく) *************************** ■三国志ランキング 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html <ご希望商品ランキング! (2004.6.1付)> → 商品化を望む商品ランキング 第1位 諸葛亮の羽扇 452票 商品化 第2位 下敷き 292票 商品化 第3位 携帯ストラップ 236票 商品化 第4位 武将のフィギア 161票 商品化 第5位 武将の武器 155票 商品化 第6位 カレンダー 154票 商品化 第7位 武将のキーホルダー 113票 第8位 武将ぬいぐるみ 105票 第9位 特大ポスター 87票 商品化 第10位 特大額装ポスター 86票 <武将別 売上ランキング!(2004.6.1付)> 第1位 五虎将グッズ↑ 返り咲き 第2位 関羽グッズ ↓ 新登場 第3位 馬超グッズ ↓ 第4位 呂布グッズ ↑ 第5位 趙雲グッズ - <ごひいき武将ランキング! ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第23回
5月 1st, 2004 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第23回 2004年5月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■三国志戦争辞典 第22回 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 ::: < 広陵侵攻戦&江夏侵攻戦 > ::: [勢力] 魏(ぎ) 呉(ご) [おもな登場人物] 魏(ぎ) 曹丕(そうひ) 曹叡(そうえい) 文聘(ぶんぺい) 司馬懿(しばい) 曹休(そうきゅう) 呉(ご) 孫権(そんけん) 徐盛(じょせい) [おもな地名] 江夏(こうか) 広陵(こうりょう) 濡須口(じゅしゅこう) 襄陽(じょうよう) 廬江(ろこう) 224年(諸葛亮の南中平定戦の前年) 魏(ぎ)の曹丕(そうひ)は前年(223年)に 呉(ご)に対し濡須口(じゅしゅこう)攻略で失敗 しました。 曹丕は一年で体制を整えなおし、改めて呉討伐に 向かいます。 それを聞いた孫権(そんけん)は直ちに軍事会議を開き 徐盛(じょせい)が提案する奇抜な作戦を採用します。 作戦とは 三国志版”一夜城”ともいうべきもので、 敵の士気を下げ撤退させるために、 魏が攻めてくる長江(ちょうこう)流域に即席の壁と櫓で 城(万里の長城のようなイメージ)を作り出し 呉の守りが堅いということを見せるというものです。 近づかれてはそれが”はりぼて”の城であることがわかる ため、長江には船団を並べてすぐに敵が近づけないよう に工夫しました。 曹丕自ら出陣してきた魏軍は 長江の対岸に布陣する敵船団と数百里に及ぶ 長城(防御壁)ができているに驚き撤退してしまいました。 呉は魏からの大軍の侵攻を戦わずして防いだのです。 226年 まだ40歳という若さで魏の二代目である曹丕が 病で亡くなるという大事件がおきます。 まだ在位6年でした。 まさにこれからという時の惜しまれる死でした。 後は曹丕の子 曹叡(そうえい)が継ぎました。 その知らせを聞いた呉は直ちに動きます。 孫権は曹丕崩御のどさくさに魏を攻める作戦です。 それは 江夏(こうか)・襄陽(じょうよう)・廬江(ろこう) の三方向からの大規模な侵攻でした。 江夏(こうか)を孫権が攻めますが 太守である文聘(ぶんぺい)は守りを固めて よく持ちこたえ持久戦となります。 魏の三代目曹叡は負けることはないとあえて 援軍を送りませんでした。 かわりに慰問の使者を送ります。 しかし、この慰問の使者には策があり 近くの山にのぼり狼煙(のろし)を上げます。 この狼煙に孫権は敵の援軍が到着したものと勘違いし 早期に撤退をしてしまいます。 残りの2方面は 襄陽で司馬懿(しばい)が、廬江でも曹休(そうきゅう) が共に勝利します。 これによって、呉の魏への侵略は失敗に終わりました。 224年と226年の戦いは それぞれの知恵による’ばかしあい’で 終結することになり、 結局、魏・呉の勢力バランスに大きな変化は 起きませんでした。 (おわり) *************************** ■三国志ランキング 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html <ご希望商品ランキング! (2004.5.1付)> → 商品化を望む商品ランキング 雑貨等商品化編 第1位 諸葛亮の羽扇 452票 第2位 赤兔馬鐙グッツ 50票 第3位 関羽の髭 22票 インテリア編 第1位 カレンダー 149票 第2位 特大ポスター 86票 第3位 特大額装ポスター 83票 武将の武器編 第1位 武将の武器 153票 第2位 青龍偃月刀 50票 第3位 七星剣 12票 文具商品化編 ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第22回
4月 1st, 2004 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第22回 2004年4月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■三国志戦争辞典 第21回 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 ::: < 南中平定戦 > ::: [おもな登場人物] 蜀 諸葛亮(しょかつりょう)、劉備(りゅうび) 正昂(せいこう)、張裔(ちょうえい) 李恢(りかい)、馬忠(ばちゅう)、馬謖(ばしょく) 反乱軍 孟獲(もうかく)、雍ガイ(ようがい) 朱褒(しゅほう)、高定(こうてい) [おもな地名] 南中(なんちゅう)、建寧(けんねい) [勢力] 魏(ぎ) 呉(ご) 蜀(しょく) 223年 この年、夷陵(いりょう)の戦いで呉(ご)に敗れてのち 病床に伏せていた 三国志の主役 蜀(しょく)の 皇帝 劉備(りゅうび)が逝去します。 それに呼応するかのように 蜀の南方に位置する南中(なんちゅう)各地で反乱がおきます。 南中の豪族 雍ガイ(ようがい)が蜀の太守 正昂(せいこう) を殺害し、後任の張裔(ちょうえい)を呉に引き渡し、 それに続き朱褒(しゅほう)、高定(こうてい)も反旗を翻し、 一部地域は呉に帰順してしまいます。 その後、仲間割れがおきて高定の部下が雍ガイを殺害する事件 がおきて、南中の権力は豪族である孟獲(もうかく)が 握ることとなりました。 蜀は呉に大敗してすぐの時期であり、また君主が変わったばかり、 蜀の実権を握る諸葛亮(しょかつりょう)も 積極的に兵を動かすことはできませんでした。 実情は、兵を動員する国力がなく要所を固めて守るしかすべが なかったのです。 225年 それから二年、諸葛亮は疲弊しきった蜀を立て直すべく 富国強兵策を実施し、国力を充実させることに 成功していました。 またこの間に呉と同盟関係の修復にも成功していました。 そして、遂に諸葛亮は南中平定の軍を動かすに至ります。 それまで諸葛亮は一度も軍事権を任せられたことがなく 司令官としては全くの未知数の段階であり、 また兵や将たちも実戦経験が少ない状態でした。 諸葛亮は兵を3つに分けて 主力は自ら率い、李恢(りかい)と馬忠(ばちゅう)に それぞれの兵を任せます。 馬忠は東方より南へ進み、朱褒軍を鎮圧、 李恢は中央より南へ進み、途中の反乱軍を鎮圧、 諸葛亮は西方より南へ進み、高定軍を鎮圧し 建寧(けんねい)のまえで三つの軍は合流します。 孟獲がいる建寧は多温多湿で熱病も発生し 非常に戦い辛い場所でしたが、 蜀軍は孟獲軍をやぶり南中平定に成功しました。 その戦いの中で諸葛亮は、孟獲を七度捕らえ七度釈放したが、 なおも孟獲を放してやろうとします。 さすがの孟獲も諸葛亮の能力に感服し、今後二度と背かない ことを誓いました。 諸葛亮は、この地域は漢人ではなく風俗習慣の異なる異民族の 居住地域であったため、反乱軍のリーダーたちを一切罰せずに 今まで認めていなかった現地の民族による自治を認めました。 この戦いに従軍した馬謖(ばしょく)が”心を攻めるべし”と 提案した成果であったともいわれています。 この方針は成功し、以後反乱は起きることはありませんでした。 それに加え、蜀は豊かな資源を確保したとともに強力な南中の 兵力も力とすることができました。 それに加え、諸葛亮や蜀の将兵たちは実戦経験を積むことにも なりました。 この諸葛亮の手腕により疲弊していた蜀は二年余りで 完全に立ち直り、また魏(ぎ)・呉と対峙していけるように なりました。 (おわり) *************************** ■三国志ランキング 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html <ご希望商品ランキング! (2004.4.1付)> 第1位 諸葛亮の羽扇 451票(商品化) 第2位 下敷き 288票 商品化決定! 第3位 携帯ストラップ 227票(商品化) 第4位 武将の武器 153票 第5位 武将のフィギア 150票(販売中) 第6位 カレンダー 143票(商品化) 第7位 武将のキーホルダー 106票 第8位 武将ぬいぐるみ 102票 第9位 特大ポスター 84票(商品化) 第10位 特大額装ポスター ...more »三国志英傑群像通信【月刊】第21回
3月 1st, 2004 at 00:00 » Comments (0)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【月刊】三国志 英傑群像通信 第21回 2004年3月1日 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■三国志戦争辞典 第20回 三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。 ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して まいります。 ::: < 第三次 濡須口(じゅしゅこう)の戦い > ::: [おもな登場人物] 呉 孫権(そんけん)・陸遜(りくそん) 朱桓(しゅかん)・諸葛瑾(しょかつきん) 呂範(りょはん)・全?(ぜんそう) 徐盛(じょせい)・晋宗(しんそう) 魏 曹丕(そうひ)・曹休(そうきゅう) 曹仁(そうじん)・曹真(そうしん) 曹泰(そうたい)・常雕(じょうちょう) 劉曄(りゅうよう) 蜀 劉備(りゅうび)・関羽(かんう) [おもな地名] 濡須口(じゅしゅこう)・羨渓(せんけい) 夷陵(いりょう)・洞口(どうこう) 南郡(なんぐん) [勢力] 魏(ぎ) 呉(ご) 蜀(しょく) 222年夏 この年、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)が義兄弟の関羽 (かんう)の弔い合戦として、呉(ご)に対して起こした 夷陵(いりょう)の戦いで大敗しました。 呉は蜀との戦いに全力を傾けるために一時的に 魏(ぎ)に対して降伏していたので 魏の曹丕(そうひ)は人質を出すように 呉の孫権(そんけん)に対して申し入れます。 しかし、偽りの降伏であった呉はそれを断りました。 それを聞いた魏の曹丕は呉に対して兵を挙げます。 この戦いは不利であると参謀の劉曄(りゅうよう)などが 諌めたが曹丕は聞きませんでした。 偶然にもこのことで夷陵の戦いで大敗していた蜀は呉と 同盟を結ぶことができたため、呉からの侵略を回避し 国の滅亡という最悪の事態は避けることができました。 222年秋 魏の曹丕は3つのルートより同時に南下を始めます。 それぞれ魏側の名将三人 曹仁(そうじん)を濡須口(じゅしゅこう) 曹真(そうしん)を南郡(なんぐん)< 濡須の西> 曹休(そうきゅう)を洞口(どうこう)< 濡須の東> へと向かわせます。 また曹丕自らも出陣します。その数30万。 夷陵の戦いに勝った陸遜(りくそん)は 魏からの攻撃を予測していました。そのため、 あらかじめ準備を整え万全の配置を行って 魏軍を迎え撃ちます。 魏と呉の戦いで何度も戦場となった重要地点の 濡須口を曹丕は狙っていました。 魏軍は濡須口を攻めるために濡須口の東方にある 羨渓(せんけい)を攻撃すると噂を広めます。 濡須口を守る朱桓(しゅかん)はこの作戦に乗ってしまい 兵の大半を羨渓へ向かわせます。 これにより濡須口を守る兵5000。 すかさず手薄になった濡須口を曹仁軍が強襲します。 朱桓は不安がる兵士を叱咤激励し、一計を案じます。 現在の不利な状況を逆手にとって守備兵全て羨渓へ 向かったと思わせ無人の城と偽装したのです。 (朱桓版空城の計) 魏軍は城門へ先陣の曹泰(そうたい)。 川の中州より船で常雕(じょうちょう)。 曹仁は後詰めとして攻めかかります。 朱桓は、油断させて城門までおびき出した魏軍に対して、 伏せておいた軍旗を一気に掲げると共に 矢と石で総攻撃をしかけます。 また、魏軍がひるんだ所に自ら城から出陣して曹泰軍を 打ち負かし一騎打ちで常雕を討ち取る大活躍を演じます。 さらに伏兵により魏軍の援軍も撃退します。 その間に、羨渓へ向かっていた兵が駆け戻ります。 これにより曹仁軍は挟撃されてしまい完全に敗退します。 また、3ルートの残り2つのうち 南郡では曹真の軍を城内から呉の陸遜が、伏兵の城外から 諸葛瑾(しょかつきん)が挟み撃ちにして撃退しました。 もう一方の洞口では呉の 呂範(りょはん)が曹休に対してたいへんな苦戦を 強いられていました。 戦い前半、呉は暴風で軍船が転覆し軍の大半を失い、 魏との戦いでも敗れます。 さらに味方の晋宗(しんそう)が魏に寝返ります。 しかしその後、土壇場で踏みとどまり 魏軍の攻撃を全?(ぜんそう)、徐盛(じょせい)らの 活躍で何とか退却させるにいたります。 これで3ルートとも魏は呉に敗れ 撤退を余儀なくされました。 こうして、呉は蜀と魏からの連続した 守りの戦いにみごと打ち勝ったのでした。 (おわり) *************************** ■三国志ランキング 三国志に関する様々なランキングを みなさまのアンケートをもとに実施しております。 投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。 個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。 ⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html <ご希望商品ランキング! (2004.3.1付)> 第1位 諸葛亮の羽扇 451票(商品化) 第2位 下敷き 282票 第3位 携帯ストラップ 219票(商品化) 第4位 武将の武器 153票 第5位 武将のフィギア 144票(販売中) 第6位 カレンダー 136票 第7位 武将のキーホルダー↑101票 第8位 武将ぬいぐるみ 98票 第9位 特大ポスター 84票(商品化) 第10位 特大額装ポスター↑ 81票 <武将別 ...more »