「三国志民間伝承」カテゴリーアーカイブ

三国志民間伝承

諸葛孔明ゆかりの半楓荷

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新たな諸葛孔明伝説が紹介されていたのでここでご紹介します。

諸葛孔明が南征の際、関節病にかかる将兵を、「半楓荷」という木の葉を煎じて治療したとの言い伝えがあり、

「半楓荷」の名も、孔明がつけたらしいとのこと。

残念ながら半楓荷の木はどこでも見ることができず、

世界絶滅危惧品種に指定される植物で、その木が 江西省吉安市安福県で

見つかったとのことで記事になっています。

しかし、孔明発案といわれるものは
木牛流馬、奇門遁甲、孔明鎖、孔明灯、孔明鼓、木獣、鎧、連弩、雲梯、明光鎧
饅頭、紙芝居、諸葛菜などなど多数あります。

何でも孔明の発明などとされがちなので今回も真偽のほどはわかりませんが、
どちらにしても、ロマンや夢がありますね。

ここでははっきり言えませんが、
私が、中国のある博物館で展示物をご紹介頂いたとき、孔明発明といわれるが
まだ確定的ではないので公には出さないでほしいというものもありました。
探せば孔明発明やゆかりのものは今後もいろいろと出てきそうなかんじですね。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0412&f=national_0412_158.shtml

お屠蘇の由来

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本年もとうとう大晦日を迎え、明日晴れて新年を迎えるわけですが、
日本のお正月のならわしで、三国志にちなんだものといえば「お屠蘇」。

「お屠蘇」は三国志の名医華陀が、一年間の災難厄除のために、
種々の薬草を調合して酒に浸して飲んだのが始まりといわれています。
邪気を屠り、魂を蘇らせるところから「屠蘇」と名付けられました。

最近は「お屠蘇」をふるまう家庭も少なくなってきましたが、
名医華陀先生に由来があると聞けば、本当にご利益ありそうですね。

皆様もお正月にお屠蘇を用意してみては。

『諸葛菜の由来』

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三顧会、ホントお疲れ様でした。

さてまたいつものコーナーを更新しましたので、暇な方は覗いてみて下さい。

『管理人所有の三国志関連書籍紹介』では「神像呪符「甲馬子」集成」という本を紹介しています。
>神像呪符「甲馬子」集成

『マイナー武将万歳☆』では「趙岐」という人を紹介しています。
>趙岐

さて、民間伝承です。
先日講演でも少し触れたザーサイの素になった諸葛菜の由来に関するお話です。

『諸葛菜の由来』
諸葛亮が10万の大軍を率いて南征したときには、日に何万斤という野菜が必要だったが前線では野菜が少なく後方から補給するにもあまりにも遠いので、将兵は野菜不足に悩まされそのうち顔は青白く戦意も挫けがちになってきた。諸葛亮も「困ったことになったぞ」と気が気ではなかったが、ある日のこと武都山で土地の者が茎が太く葉が大きく根が大根のような野生の菜っ葉を食っているのを見かけた。「それはなんですか」と丁寧に尋ねると「これは蔓セイ(←草冠に青)(カブラの漢名)という物で、生で食べることができるし、煮て食べてもよい。残ったら干して塩漬けにして後で食べることもできる。簡単に育てることができるし、1株で何斤(1斤は約223.73グラム)にもなる」とのこと。「これだ」と思った諸葛亮は、兵士たちに命じて陣営のまわりに蔓青を植えさせた。すると、案の定、苗はぐんぐん育ち、山のように収穫することができた。調理してみれば、味はよし調理も簡単ときた。彼は武都から漢中に引き上げるときに株を持ち帰って植えたうえ、成都にも使者を送って栽培させた。これ以来、蔓セイは野生から人工で栽培される野菜となり「諸葛菜」と呼ばれるようになった。もっとも根っこが人の頭ほどもあるので「人頭菜」とも呼ばれているが、これが今でも人びとに歓迎されている野菜の「諸葛菜」なのである。

ではまた。

『活かされなかった教訓』

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書籍紹介です。
「中国の神さま」という本。
>中国の神さま

『マイナー武将万歳☆』では
「胡芳」という女性を。
>胡芳

さてまた民間伝承です。

『活かされなかった教訓』というお話。
劉備が益州に入る前、諸葛亮は関羽の所へ行って将棋を指した。指しはじめると関羽は前後も考えず進む事ばかりしか考えない。一方、諸葛亮はしっかりと前後を見据え攻守共にバランスよく3回続けて勝った。もう1回となったとき諸葛亮は「後ろの守りを固めておかなければ勝てませんぞ」と注意した。関羽は負けず嫌いのうえ立て続けに3番負け、こんな風にいわれて「軍師、あんたはわしらの< 相>だ。見てみいこの将棋を、敵陣に攻め込んで苦労しているのは< 車>や< 馬>や< 砲>や< 兵>で、家でのんびりしているのは< 士>と< 相>だ」(中国将棋の< 相>と< 士>は、日本将棋の< 角>と< 銀>に相当するが、自陣を守るのが専門で敵陣に攻めいることはできない)と皮肉をいった。諸葛亮は関羽がおのれの武勇をたのんで人の忠告を聞かず、逆に皮肉をいったりしたので将棋盤を押しのけて立ち去った。これを聞いた劉備は、関羽のところへ行って、諸葛亮が将棋を指したのは、関羽に荊州を守るにはよく前後を考え、つねに攻守両様の道を考えなければならず、勝つことばかり考えて、後方の守りをおろそかにすることのないようにと注意しようとしたのだと話し「曹操は天の時を占め、孫権は地の利を占め、わしは人の和に頼る。大将と軍師が仲違いして、どうして戦うことができようか」といったので、関羽は自分の誤りを悟り、ただちに諸葛亮に謝ったものだったが、将棋に負けた教訓の方はどうやら活かされなかった様である。/民間伝承

それでは、できればまた来週m(_ _)m

『親子再会』

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「資治通鑑」

「楊シ」

民間伝承です。

『親子再会』というお話。
張飛は劉備に従って故郷を出たとき、留守宅に1本の鉄棒といくらかの銀子を残していった。息子の張苞は母親の手で育てられて12歳になったが武芸一辺倒で、勉強はそっちのけ。母親は仕方ないと思って、鉄棒を取り出し「苞や、お前の父親は張翼徳といって劉備将軍配下の大将です。これはお前の父親が残していったもので、これで練習をし、腕が上がったらお父さんを訪ねて行きなさい」と言った。そこで張苞は先生について武芸を習い、3年、15歳になったとき、母親をともなって荊州の父親のもとへ旅立った。ある日、とある大きな山の麓まで行くと、2人の山賊が飛び出してきて、長刀を構えて道を遮った。張苞が追い払うと、しばらくしてその2人が頭目を連れてきた。ところが、この頭目もたちまち張苞に叩きのめされて、張苞は山賊の頭目に押し上げられ山塞を差し出した。張苞は母親と山塞にのぼり、しばらく休むことにした。と、ある日、1隊の官軍が山塞の討伐にやってきて頭目を生け捕ったので、張苞が馬に鞭打って官軍の大将に戦いを跳んだ。2人は100回あまり打ち合ったが勝負がつかない。そのうち、官軍の大将が張苞の鉄棒を見て呆然としたので、その隙に馬から叩き落し、部下に命じて縛り上げさせた。すると、その大将が「その鉄棒はお前の父親が残したものではないのか」と聞くので、おかしなことを知っているなと思いながら「そうだ」というと、相手がいった。「わしは張飛だ。お前の父親だよ」。「おれの父上は張翼徳といって劉備将軍配下の大将だ。滅多なことをいうな」というなり、鉄棒を振り上げて殴ろうとした。そのとき、息子が官軍と戦って間違いを起こすといけないと思った母親が下りてきて、あわてていった。「苞、お待ち。そのお方はお父上ですよ」。張苞は急いで張飛の縄をとき「お父上、お許しください」と脆いた。張飛はとっさのことで物もいえず、一言、「この馬鹿者。立ちなさい」というと、一家三人、馬を飛ばせて荊州に向かったのだった。/民間伝承より

では今日もこれでおしまい。(できれば)また来週!

『樊城の水攻め』

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申し訳ありません。

さて、本日もいつものコーナーを更新させて頂いております。宜しければ覗いてみて下さい。

『管理人所有の三国志関連書籍紹介☆』では「後漢書(全10巻)」という本を紹介しています。
>後漢書(全10巻)
後漢書〈第1冊〉本紀(1)

『マイナー武将万歳☆』では「王元姫」という女性を紹介しています。只今女性特集期間です。因みに来週も女性です。
>王元姫

さて、本日もまた民間伝承の紹介です。

『樊城の水攻め』というお話
関羽はホウ徳と100回も戦って勝てない上、矢傷まで受けてしまった。「どうしう」と悩んだすえ、樊城西北の山あいの谷間に7つの堰があることを発見し「そうだ、あの堰を切って曹操軍を水攻めにしよう」と決めたものの曹操の軍勢はみな高所に陣取っている。そこで、堰に土盛りをして水を蓄えさせる一方、軍勢に曹操軍の陣地を包囲させた。包囲陣のなかに2、3里おきに大きな馬小屋を造らせ、馬糞を運んできて撒いておかせた。曹操軍の大将于禁とホウ徳は関羽が包囲陣を敷き、各所に馬小屋を造ったが、なかには馬の姿はなく、馬糞が散らばっているばかりという報告を受けた。2人は関羽が馬をどこかに隠して、奇襲の機会を窺っているのだと思い全軍に指令して陣を麓に移させた。麓のかたわらに陣を取って敵襲に備えた。このときは丁度何日も大雨が降り続いて7つの堰には水が満々とたたえられていた。関羽が時機到来とばかり、堰を一気に決壊させたので7筋の大河が一斉に曹操の軍勢に襲いかかった。平地は海となり、曹操軍の将兵は波にのまれ于禁とホウ徳は関羽の捕虜となった。その現場には今も馬棚(馬小屋)村、堰口村などがある。かつて関羽が曹操軍を水攻めにした跡だという。/民間伝承より

今日は、データ作りでずっとパソコンの前に座っていました。腰が痛いです…。

『関羽が商神になったワケ』

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映画『蒼き狼〜地果て海尽きるまで』を見てきましたがイマイチだった今日この頃。

さて、本日もいつものコーナーを更新しています。

『管理人所有の三国志関連書籍紹介☆』では
「横山光輝 三国志事典」という本を紹介しています。
>横山光輝 三国志事典

また『マイナー武将万歳☆』では
「夏侯徽」という人物を紹介しています。女性です。
>夏侯徽
さて、また民間伝承です。

『関羽が商神になったワケ』というお話。
王三は関羽の同郷の友人で酒造りの名手だったが、関羽が荊州で大将になったと聞いて頼ってきた。関羽は彼に資金を出してやって、町で酒屋をやらせた。王三の店はとても繁盛し、1年足らずのうちに大金持ちになり楽しい生活をおくっていた。ところがある日、外出中に関羽将軍の部下と名乗る者たちが押しかけてきて、店のものを洗いざらい奪い取り、店を叩き壊して意気揚々引き上げていった。帰ってきてその惨状を見た王三は、すぐさま役所に届けるとともに、城内の関羽を訪ねた。関羽は彼を2日城内に引き止めてもてなしたものだったが、王三は家に立ち帰ったとたん店の使用人ともども役人に捕らえられ、店も封印されてしまった。王三の罪状は関羽にありもせぬ罪を着せたというもので、死刑を宣告された。死刑執行の当日にはお触れがまわり、城内の者が見物に集められた。そして、いよいよ首を斬るというとき、兵士が群集の中から李光祖という男を引っ捕らえる一方、王三を釈放した。李光祖は城内の大きな酒屋の主人で、金持ちで顔役だったが、王三に店の客を取られたのを根に持ってごろつきどもを集めると、関羽軍を装って、王三の店を襲わせたのであった。関羽は王三の店を略奪した下手人を捕らえるために、まず王三や店の者たちを捕まえておいて、それとなく李光祖を見張っておいた。李光祖は自分の計略が成功したものと思い込み、安心してぬけぬけと王三の処刑を見物にやってきていた。こちら関羽は王三の店の者に兵士の服装をさせて、人びとのなかで下手人を捜させ、李光祖の一党を確認して引っ捕らえた。尋問すると、盗んだ物が出てきたので、李光祖を死刑にした。王三は店を建てなおし、関羽の恩に応えるために、店先に関羽の肖像をかかげた。その後、王三の商売はますます繁栄したが、多くの同業者は関羽が店を守っているからだと考え、王三と同じように関羽の肖像を祀って、商売繁盛を願ったのである。/民間伝承より

さて随分と温かくなって参りました。お陰で眠くて堪りません。。

『蔵書洞』

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例の準備、も少し待って下さい。

さて、また色々と更新しましたので、そのお知らせです、ハィ。

『管理人所有の三国志関連書籍紹介☆』では
「三国志おもしろゼミナール」という本を紹介しています。
>三国志おもしろゼミナール

『マイナー武将万歳☆』では「劉寔」という人物を紹介しています。
>劉寔

さて、民間伝承です。

『蔵書洞』というお話。
諸葛亮はその死の間際に、彼の兵法二十四篇を姜維に贈り、劉禅に、蜀漢に忠誠を尽くせと遺言したのだった。
書物には数多の地理・天文・兵法・戦術や行政戦略など森羅万象記されていた。
姜維はこの書物をこの世の至宝とみなし、四六時中身辺から離すことはなかった。
時は過ぎ蜀に鍾会が侵攻してきた時、剣門関に劉禅からの使者がやってきた。
成都陥落、降伏せよ、という命令である。
茫然自失の彼の頭に亡き孔明に貰った書物の事がよぎった。
あれが敵の手に落ちてはならない。
すぐに部下二人と秘密裏に諮り、剣門の絶壁にある洞穴に蔵し、何つ時の日か取りに戻ることにしようと決めた。
彼らは書物を二つの箱に収めて封印し隠し場所を捜し歩いた。そしてやっと千仞の岩壁に洞穴を見付けたのである。
まず一人が腰に綱を結びつけて岸壁を下りていき、洞穴の前で待ち受ける。
そこへ綱を結びつけた箱が一つずつ下ろされると、それを洞穴の奥にしっかりと置いた。
その後、姜維は不遇の死を遂げ書物を取りに戻ることはなかった。
同時に兵法二十四篇のありかも謎となった。
だが今なお土地の老人たち岸壁にぼつんと見える洞穴を指さしてこう語るのである。
「あれこそ姜維の蔵書洞だ」と。
/民間伝承より

『ホウ統の霊魂』

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あぁ、疲れてますとも。

さて本日もいつものコーナーを更新しています。

『管理人所有の三国志関連書籍紹介☆』では「三国志の大地」という本を紹介しています。
>三国志の大地

三国志の大地

また『マイナー武将万歳☆』では「陸機」を紹介しています。マイナーとは言っても晋初の代表的な文章家ですけんど。
>陸機

さて民間伝承の紹介です。

『ホウ統の霊魂』というお話
襄陽の南にホウ統を祀ったホウ公廟がり村人はいつも廟に行きホウ統さんから銀を借りる。借りた分は必ず返すから借りたいと思う程の金額はたいていある。ある夜詐欺師が廟に来て、家に老母と妻子がいるが米がないので銀500両を借りに来たという。ホウ統さんの頭を叩くと500両の銀が出てきた。彼はまた、重ねて入れ物がないといってホウ統に袋を求めた。袋が出てきたので、銀をそれに入れた。重ねてまた、背負うと重いのでロバが必要だと哀願した。するとロバが現われた。彼は急いで礼もいわず銀を積んで逃げた。彼は思った。「今日は運がよい、あのホウ統を騙し儲けた。ホう統の管轄するこの地域を出さえすれば、彼は私に何もできまい」そう思った途端、突然声が聞こえてきた。「ホウ公に銀を返さなければ、冥土に行ったところで逃げきれまい」彼は驚き恐れおののいた。この時、ロバの口から人の声がした。「私はもともと人だったが、ホウ公廟の銀を騙し取ったためロバにされ罪を償っている。因果応報。よく肝に銘じるがよい」詐欺師はロバに謝りロバと銀の全てをホウ公廟に返し、以後は詐欺やめ改心して暮らしたという/民間伝承より

『劉備の墓』

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もぅ、最近凄く忙しいです。

でも今から、2月15日に時代劇専門チャンネルで始まる『人形劇三国志』が楽しみです。

さて、またいつものコーナーを更新しています。

『管理人所有の三国志関連書籍紹介☆』では
「三国志群雄録」という本を紹介しています。
>三国志群雄録
三国志群雄録

『マイナー武将万歳☆』では
「賈南鳳」という女性を紹介してます。マイナーでもないかナ?
>賈南鳳

さて、民間伝承です。

『劉備の墓』というお話。
劉備の死してその遺体は白帝城から成都に送られ埋葬された。数年後、盗賊が劉備の墓の副葬品を盗もうと墓に侵入した。彼らが中に入って見ると中は明るく輝き、劉備が両脇に10名の衛士を従え、誰かと碁を打っている。賊どもは恐れおののき、あわてて頭を地面にすりつけて罪を詫びた。ところが劉備は怒るどころか、皆に一杯の美酒と玉帯一本を褒美にくれたのである。賊は美酒を飲み、玉帯を受け取ると急いで墓の外に這い出した。思いがけない事がおこった。墓の入り口から一歩外に出たとたん、美酒はねっとりとした膠(ニカワ)に変わって口をはりつけ、玉帯もまた大蛇に変わって腰に巻きついた。後を振り向くとさっき開けたばかりの入り口もいつのまにかピタリと塞がれている。この噂は大きくなって瞬く間に広まり以来二度と盗掘もなく劉備の陵墓は今も完全に保存されているという。/民間伝承より

最近風邪気味です。皆様も三寒四温の折、お身体には充分御自愛下さい。

『関帝廟の由来』

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今回は自分とこでやってるそのまんまをここでも書いてみました。

『マイナー武将万歳☆』という地味で光る人物を紹介するコーナーでは「王表」という人物を紹介しています。
最近では少しメジャーですかね?
王表人物紹介

また僕の持っている三国志関連の書籍を紹介する『管理人所有の三国志関連書籍紹介☆』というコーナーでは井波律子氏著の「三国志演義」という本を紹介しています。
「演義」そのものの歴史を文学史や民俗学的見地などから紐解き、解説してある本で是非お薦めです。
井波律子氏著「三国志演義」紹介

さて民間伝承です。

『関帝廟の由来』
関羽は呂蒙に捕われて殺され、首は曹操のもとに送られた。
曹操は首を見て声をあげて泣いた。
関羽は曹操にとっても忠勇比類なき人であり、華容道で命を救ってもらった大恩がある。
早速曹操は洛陽に霊安所を建てさせ供養をすると共に、木を彫って身体を作りそれに関羽の首をすげて王侯の格式で葬送の儀式を行ない、自分の才を愛し、義を重んじる気持ちを表わそうとした。
知らせが劉備のもとに伝わると、終日声を放って泣いたのはもちろん、曹操の行為に感じ入ると共に、孫権を深く怨んだのであった。
曹操はこの劉備の反応を知って密かに喜び、さらに関羽の廟を建立して劉備が呉への怨みを深くし討伐に向かうよう企てた。
しかし、魏の文武百官は皆、敵国の大将の廟を建立するなど国法に合いませぬと反対する。
そこで曹操は故郷の[言焦]郡に関帝廟を建立させ、これは私人としての交情から建立したものであり国政とは無関係であると強弁した。
曹操の故郷に関帝廟が建立されると曹操が関羽を大事にする様をみて、多くの州や県が曹操のご機嫌を取り結ぼうと、次々と関帝廟を建立しそれ以来、全国各地に関帝廟が建立されるようになったという。/民間伝承より

それではお邪魔しました。

『72の偽塚』

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明けまして御目出度うございます。

さて民間伝承です。今日の傅僉の掲示板でも『マイナー武将万歳☆』と『三国志関連書籍紹介☆』と共に更新してあります。

『72の偽塚』というお話。
曹操が死の床についた際、実の息子らは皆遠方におり、その側にいたのは養子1人だった。曹操はその養子1人を残して人払いをするとこう言った。「72の柩を用意して、[シ章]河のほとりに72の墓穴を掘るように。私が死んだら柩の1つに私を入れ運び出して埋めなさい。どの穴に埋めたかはお前1人の秘密にするように」と。さらに、自分は天寿を全うしてあの世に行くのだから、めでたいことである。葬儀には赤い礼服を身に付けるように、と言い添えた。曹操は同時に曹丕に手紙をしたため使者に持たせた。出棺の日、72の柩が4つの城門から同時に運び出され、どの柩に曹操が納められているのか、それがどの墓に埋葬されたのか、誰にも分からなかった。書状を受け取った曹丕は兵士を引きつれて駆けつけた。赤い礼服をまとった義理の兄弟が祭祀を執り行なっているのを見つけると、駆け寄るやいなや、その首を切り落とした。なんと曹操の手紙には、赤い礼服を看て祭祀を執り行なっている者が反逆者であり、すぐに手討ちにするようにと書かれていたのである。こうしてどれが曹操の本当の墓であるかは永遠の謎となった。/民間伝承より

さぁて、明日はひっさしぶりにお城に行って来ようと思います☆

『陸遜、黄龍を退治す』

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『陸遜、黄龍を退治す』というお話。

蒲圻の雋水では河が増水すると、決まって黄龍が8匹の息子たちを連れて水遊びにやってくる。
その度に河は堰き止められ、洪水が起こり人々は苦しみに喘いでいた。
蒲圻に赴任した陸遜は人々のためにこの禍を取り除こうと決心した。
鉄の舟を作らせ50名の勇士を選んで冬から翌年の春まで訓練をした。
夏になり水かさが増すと、黄龍が8匹の息子たちを連れて雋水に波を起しにやってきた。
陸遜は舟を出して黄龍とその息子たちを追いかけた。
陸遜が三尺ある雪花剣をふりまわしたかと思うと血が飛び散り、子の龍の胴体が断ち切られた。
50人の勇士たちも刀や矛を振り回して大活躍し残りの7匹を退治した。
黄龍は怒り陸遜に戦いを挑んできた。
陸遜と勇士たちは怯むことなく、ますます勇しく戦った。
黄龍が力尽きた所を見計らって陸遜はその背に飛び乗り黄龍の額に剣を突き刺した。
黄龍は傷を負って逃げ去った。
陸遜はただちに兵士たちに河の流れを円滑に整えるように命じた。
それ以来、河はふたたび洪水を起して人々を苦しめることはなくなった。
土地の人々は陸遜に感謝して雋水を陸水と改めた。
/民間伝承より

バックナンバーは僕んとこの『「三国志好き」の雑談処』にありますので。

『陸遜、武術を学ぶ』

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今日の自分のトコで更新している『マイナー武将万歳☆』では「習禎」という人を紹介しています。

こちら→習禎

さて、コレも自分トコで更新している『管理人所有の三国志関連書籍紹介☆』で「三国志・座右の銘」という本を紹介しています。

こちら→三国志・座右の銘

さて民間伝承です。

『陸遜、武術を学ぶ』というお話。

陸遜は14〜5歳の頃、師について拳術を学び郷里では並ぶもののない腕前になった。陸遜はやがて増長し師匠さえも軽く見るようになった。ある日、父親の誕生の祝が開かれ、陸家の親族の宴席の語らいの中で武術の事に話が及んだ時、師は「武術の世界に強い者はいくらでもいるが、真の達人になるには長く人生を生き、老人になるまで修練を続けなければならぬものだ」と話した。これを聞いた陸遜はそんなことはあるものか、と思っていた。武術の腕前の程を尋ねられ、師が「この歳まで武術の修業をして参ったが、未だ相手の一撃を食らったことはありませぬ」と答えるのを聞くと「この老いぼれが!それでは試してやろう」と考えた。陸遜はこっそりと師匠の背後にまわると、腰のあたりめがけて拳を打ち込んだ。師は何事もないようにかわして「しようのない奴だ。このわしに一発お見舞しようというにはまだまだ早い」陸遜はひたすら恥ずかしく、脆いて許しを乞うた。師匠は言った。「驕りをなくさなければ、将来の見込みはない」この一件で陸遜は謙虚さを学び、一層はげむようになった。/民間伝承より

どうも、お邪魔しましたm(_ _)m

こちらでは初めまして。『麻沸散』の開発秘話

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先日岡本さんにご案内頂きました、傅僉(フセン)です。宜敷くお願いしますm(_ _)m

三国志に関わる事を書かなくてはいけないので、いつも自分が自分の掲示板でしている民間伝承の紹介をこちらで紹介してみます。

『麻沸散』の開発秘話。

華佗は常日頃、手術をしても患者が痛みを感じないで済むような薬はないかと考えていた。ある時ひどく酔った男がつまづいて竹べらが目に突き刺さった。華佗が手術して竹べらを取り出したのだがこの男は痛みを感じなかった。華佗はこの方法を自分で試してみることにした。自分が酔ってしまった後で太ももの肉を一かけら切り取るように、と弟子に言いつけたのである。酔いから醒めて気がつくと確かに痛みを軽く出来るようであった。華佗はこの方法を「沈酔法」と名づけて手術に採用したが大手術になると効き目はなくなってしまうのであった。ある日、子供を連れた母親が子供が野草の根を食べて口がきけなくなってしまったという。その根を口に入れてみると確かに舌がしびれて感覚がなくなってしまった。華佗はこの草を「麻薬草」と命名し手術に使い始めた。しかしこの事は麻酔時間が短いのが難点であった。そんなある日、華佗が山へ薬草を取りに出かけると猟師が死んだ虎を担いで山を下りてくるのに出会った。虎の口を矢が貫いている。華佗が何の矢か尋ねると矢には麻酔薬が塗ってあってこれで先に射てから虎をしとめるのだという。華佗が処方を尋ねると初めは渋っていたが、医術で人を救うためだと説得されようやく秘伝の処方を教えてくれた。それはマンダラゲやテンナンショウを配合したものであった。華佗はこれらの薬と酒を混ぜ合わせて粉薬を調合した。試行錯誤の末、華佗はついに理想的な麻酔薬を作り出しこれを「麻沸散」と名づけた。/民間伝承より

バックナンバーが見たい方は御覧になられてみても構いませんが殆ど某本からの抜粋となっていますのでその辺は予めご了承下さい。
http://ip.tosp.co.jp/I.ASP?I=FKTAFHAK

またちょくちょくお邪魔させて頂ければと思います。

あ、それと変な三国志ゲームを見付けました。
『恋姫無双』というラシイです。主人公が全部美少女です…。
御存知の方おられます?

ではどうも失礼致しました。

追記:傅僉の傅は「傳」ではなく「傅」ですf^_^;