【月刊】三国志英傑群像通信 第4回

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【月刊】三国志 英傑群像通信 第4回
2002年10月1日

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■三国志戦争辞典 第3回

三国志といえば戦国時代です。さまざまな戦争がありました。
ここでは三国志の時代の有名な戦さについて
ご紹介してまいります。

:::::::< 徐州制圧戦 >::::::::

193年
 徐州の下ヒで、”ケッ宣”と言う男が手勢数千を率い、
天子を称しました。この時、徐州牧となっていた陶謙は、
これに便乗して曹操の支配するエン州に攻め込みます。
曹操はすぐさま反撃し、逆に徐州の十余城を攻め落とし、
彭城で陶謙軍を破ります。
曹操軍の攻撃は凄まじく、この戦いで陶謙軍は数万人の死者を
出し、その為泗水の流れが止まったとまで言われています。
しかし、兵糧が乏しくなった曹操軍が兵を引き、
激戦はひとまず収まります。

翌年(194年)曹操は再び徐州に攻め込みます。
しかもほぼ全軍を挙げての総攻撃でした。
破竹の勢いの曹操がここまで徐州に拘ったのは、陶謙に対する
個人的な恨みだったといわれています。
 実は董卓の兵乱の折、徐州に難を逃れた父の曹嵩が
陶謙に殺されていたのです。
その為、曹操軍は一般の住民に対しても大虐殺を繰り返します。
対して陶謙は曹豹と客将の劉備に迎え撃たせますが、曹操軍の
前にたちまち敗退してしまいます。

曹操は快進撃を続けますが、この時留守にしていた本拠地
エン州で緊急事態が発生します。
無二の盟友だった張バクが反乱を起こし、しかもあの呂布を迎
え入れたのでした。
足元をすくわれた曹操軍の動揺は大きく、曹操はすぐさま兵を
引き返します。

結局、この徐州平定戦で曹操が得たものは何も無く、この後エ
ン州を取り戻す為に、呂布と足掛け2年に渡って戦う事となり、
劉備は労せず徐州を譲り受けてしまいます。

この時の曹操については、後の歴史家も痛烈に批判しており、
曹操にとって苦い戦いだったには、間違い有りません。

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