『諸葛菜の由来』

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三顧会、ホントお疲れ様でした。

さてまたいつものコーナーを更新しましたので、暇な方は覗いてみて下さい。

『管理人所有の三国志関連書籍紹介』では「神像呪符「甲馬子」集成」という本を紹介しています。
>神像呪符「甲馬子」集成

『マイナー武将万歳☆』では「趙岐」という人を紹介しています。
>趙岐

さて、民間伝承です。
先日講演でも少し触れたザーサイの素になった諸葛菜の由来に関するお話です。

『諸葛菜の由来』
諸葛亮が10万の大軍を率いて南征したときには、日に何万斤という野菜が必要だったが前線では野菜が少なく後方から補給するにもあまりにも遠いので、将兵は野菜不足に悩まされそのうち顔は青白く戦意も挫けがちになってきた。諸葛亮も「困ったことになったぞ」と気が気ではなかったが、ある日のこと武都山で土地の者が茎が太く葉が大きく根が大根のような野生の菜っ葉を食っているのを見かけた。「それはなんですか」と丁寧に尋ねると「これは蔓セイ(←草冠に青)(カブラの漢名)という物で、生で食べることができるし、煮て食べてもよい。残ったら干して塩漬けにして後で食べることもできる。簡単に育てることができるし、1株で何斤(1斤は約223.73グラム)にもなる」とのこと。「これだ」と思った諸葛亮は、兵士たちに命じて陣営のまわりに蔓青を植えさせた。すると、案の定、苗はぐんぐん育ち、山のように収穫することができた。調理してみれば、味はよし調理も簡単ときた。彼は武都から漢中に引き上げるときに株を持ち帰って植えたうえ、成都にも使者を送って栽培させた。これ以来、蔓セイは野生から人工で栽培される野菜となり「諸葛菜」と呼ばれるようになった。もっとも根っこが人の頭ほどもあるので「人頭菜」とも呼ばれているが、これが今でも人びとに歓迎されている野菜の「諸葛菜」なのである。

ではまた。

「『諸葛菜の由来』」への1件のフィードバック

  1. 三顧会、お疲れ様でした。

    素敵なお話を聞かせていただきました。傳僉さんの情熱と造詣の深さが感じられ、ライブで触れられるというのは素晴らしいことだなと思いました。
    以後、よろしくお願いします。

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