『樊城の水攻め』

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申し訳ありません。

さて、本日もいつものコーナーを更新させて頂いております。宜しければ覗いてみて下さい。

『管理人所有の三国志関連書籍紹介☆』では「後漢書(全10巻)」という本を紹介しています。
>後漢書(全10巻)
後漢書〈第1冊〉本紀(1)

『マイナー武将万歳☆』では「王元姫」という女性を紹介しています。只今女性特集期間です。因みに来週も女性です。
>王元姫

さて、本日もまた民間伝承の紹介です。

『樊城の水攻め』というお話
関羽はホウ徳と100回も戦って勝てない上、矢傷まで受けてしまった。「どうしう」と悩んだすえ、樊城西北の山あいの谷間に7つの堰があることを発見し「そうだ、あの堰を切って曹操軍を水攻めにしよう」と決めたものの曹操の軍勢はみな高所に陣取っている。そこで、堰に土盛りをして水を蓄えさせる一方、軍勢に曹操軍の陣地を包囲させた。包囲陣のなかに2、3里おきに大きな馬小屋を造らせ、馬糞を運んできて撒いておかせた。曹操軍の大将于禁とホウ徳は関羽が包囲陣を敷き、各所に馬小屋を造ったが、なかには馬の姿はなく、馬糞が散らばっているばかりという報告を受けた。2人は関羽が馬をどこかに隠して、奇襲の機会を窺っているのだと思い全軍に指令して陣を麓に移させた。麓のかたわらに陣を取って敵襲に備えた。このときは丁度何日も大雨が降り続いて7つの堰には水が満々とたたえられていた。関羽が時機到来とばかり、堰を一気に決壊させたので7筋の大河が一斉に曹操の軍勢に襲いかかった。平地は海となり、曹操軍の将兵は波にのまれ于禁とホウ徳は関羽の捕虜となった。その現場には今も馬棚(馬小屋)村、堰口村などがある。かつて関羽が曹操軍を水攻めにした跡だという。/民間伝承より

今日は、データ作りでずっとパソコンの前に座っていました。腰が痛いです…。