『関帝廟の由来』

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今回は自分とこでやってるそのまんまをここでも書いてみました。

『マイナー武将万歳☆』という地味で光る人物を紹介するコーナーでは「王表」という人物を紹介しています。
最近では少しメジャーですかね?
王表人物紹介

また僕の持っている三国志関連の書籍を紹介する『管理人所有の三国志関連書籍紹介☆』というコーナーでは井波律子氏著の「三国志演義」という本を紹介しています。
「演義」そのものの歴史を文学史や民俗学的見地などから紐解き、解説してある本で是非お薦めです。
井波律子氏著「三国志演義」紹介

さて民間伝承です。

『関帝廟の由来』
関羽は呂蒙に捕われて殺され、首は曹操のもとに送られた。
曹操は首を見て声をあげて泣いた。
関羽は曹操にとっても忠勇比類なき人であり、華容道で命を救ってもらった大恩がある。
早速曹操は洛陽に霊安所を建てさせ供養をすると共に、木を彫って身体を作りそれに関羽の首をすげて王侯の格式で葬送の儀式を行ない、自分の才を愛し、義を重んじる気持ちを表わそうとした。
知らせが劉備のもとに伝わると、終日声を放って泣いたのはもちろん、曹操の行為に感じ入ると共に、孫権を深く怨んだのであった。
曹操はこの劉備の反応を知って密かに喜び、さらに関羽の廟を建立して劉備が呉への怨みを深くし討伐に向かうよう企てた。
しかし、魏の文武百官は皆、敵国の大将の廟を建立するなど国法に合いませぬと反対する。
そこで曹操は故郷の[言焦]郡に関帝廟を建立させ、これは私人としての交情から建立したものであり国政とは無関係であると強弁した。
曹操の故郷に関帝廟が建立されると曹操が関羽を大事にする様をみて、多くの州や県が曹操のご機嫌を取り結ぼうと、次々と関帝廟を建立しそれ以来、全国各地に関帝廟が建立されるようになったという。/民間伝承より

それではお邪魔しました。