三国志英傑群像通信【月刊】第19回


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【月刊】三国志 英傑群像通信 第19回
2004年1月1日

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■三国志戦争辞典 第18回

三国志といえば戦国時代です。様々な戦争がありました。
ここでは三国志の時代の有名な戦さについてご紹介して
まいります。

:::: < 夷陵の戦い その1 > ::::

[おもな登場人物]
蜀 劉備(りゅうび)・関羽(かんう)
諸葛亮(しょかつりょう)・趙雲(ちょううん)
   劉封(りゅうほう)・張飛(ちょうひ)
   張達(ちょうたつ)・范彊(はんきょう)
   黄忠(こうちゅう)

魏 曹操(そうそう)・献帝(けんてい)
曹丕(そうひ)・于禁(うきん)

呉 孫権(そんけん)・呂蒙(りょもう)
   孫桓(そんかん)・朱然(しゅぜん)
   韓当(かんとう)・周泰(しゅうたい)
   潘璋(はんしょう)・諸葛瑾(しょかつきん)
   凌統(りょうとう)・甘寧(かんねい)

[おもな地名]
 荊州(けいしゅう)

[勢力]
 魏(ぎ) 呉(ご) 蜀(しょく)

[蜀漢五虎将]
 関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超

219年12月

 魏・呉・蜀 三国の境にあたる荊州(けいしゅう)は
まさに当時、一触即発の火薬庫でした。
 それまで日の出の勢いであった劉備(りゅうび)擁す
る蜀の名将関羽(かんう)が魏・呉の秘密同盟により
挟撃されて壮絶な最後をとげます。
それにより蜀は荊州の大半を呉に占領されてしまいます。
ちなみにこの関羽自滅のもとを作った呉の名将
呂蒙(りょもう)は関羽亡き後すぐに病死します。
このことは関羽の祟りともいわれました。

その後、義兄弟関羽をなくした劉備が弔い合戦として
呉討伐に出撃するまでなんと3年もの月日を必要とします。

その理由としては
220年に劉備の最大のライバルである
魏王 曹操(そうそう)が66歳で病のためなくなり、
その後を継いだ息子の曹丕(そうひ)が
曹操が傀儡として利用してきた後漢の皇帝である
献帝(けんてい)を廃して魏を建国したのです。

このことで劉備は自称漢の血筋を引くものとして
約半年後の221年に魏に対抗するとともにし大義名分の立場
から漢の復興を名目に、昭烈帝となり蜀を建国します。

やっと状況もおちついた222年
劉備は呉討伐に出撃することになります。

出撃するに当たって
諸葛亮(しょかつりょう)や趙雲(ちょううん)は
”敵は魏であって呉ではない”
”魏を倒せば呉はおのずと降伏する”と説得しますが
話が関羽の事となると仁徳の人劉備も話を聞かず
開戦を決定してしまいます。
この直前にも義理の子であり次期後継者とも目された
劉封(りゅうほう)を関羽への援軍をださなかったことで
処刑しています。
兄弟の死で少し劉備の行動がおかしくなっていました。

もうひとりの義兄弟 張飛(ちょうひ)も
弔い合戦への参戦の準備をしていましたが、
兄を失った怒りもあり、また日ごろから部下に厳しい面も
でて、部下に無理難題を与えていました。それに耐えかね
た部下の張達(ちょうたつ)と范彊(はんきょう)は
このままでは自分たちが殺されてしまうと張飛を
暗殺してしまいます。張飛の首を手土産に、張達と范彊は
呉に亡命します。

出撃前に三国時代で一二を争う豪傑張飛の死は
劉備にショックを与えるとともに蜀軍の
軍事力低下という最悪の結果を招きました。

それでも劉備の決意はかわらず出陣します。
そのとき、劉備軍は4万もの大軍でした。

それをきいた呉の孫権(そんけん)は諸葛亮の兄である
諸葛瑾(しょかつきん)を和睦の使者としておくります。
呉は”領土返還”と”魏への共同攻撃”という提案を出します
が怒りの劉備は全く聞き入れせんでした。

それを聞いた孫権は魏の曹丕に対し使者を送ります。
”魏の捕虜”于禁(うきん)”返還”と”呉が魏への臣下になる”
という条件を持って同盟(?)を結びます。
 この臣下になるというのは当然あくまでも一時的な呉の
作戦でした。
 臣下になるということは屈辱的ではありますがこれで
呉は魏からの攻撃を防ぐことができました。
後々の憂いをたち蜀に全力であたることができました。

しかし、緒戦では孫桓(そんかん)・朱然(しゅぜん)軍が
劉備軍にやぶれます。

韓当(かんとう)・周泰(しゅうたい)・潘璋(はんしょう)
凌統(りょうとう)・甘寧(かんねい)というほぼ主力を
だしますが名将甘寧・潘璋は打たれます。

蜀も五虎将の一人黄忠(こうちゅう)が戦死するという結果と
なりますが戦況的には劉備はこの時一番の勢いがあり連戦連勝
でした。

(その1 おわり)

***************************
■三国志ランキング

三国志に関する様々なランキングを
みなさまのアンケートをもとに実施しております。
投票は下記サイトで投票ボタンを押すだけです。
個人情報等、一切漏れませんので御安心下さい。
⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html

<ご希望商品ランキング! (2004.1.1付)>
第1位 諸葛亮の羽扇 442票(商品化)
第2位 下敷き 263票
第3位 携帯ストラップ 210票(商品化)
第4位 武将の武器 145票
第5位 カレンダー 126票(商品化)
武将のフィギア↑126票(販売中)
第7位 武将ぬいぐる 91票
デスクトップテーマ↑ 91票
第9位 特大ポスター↓ 80票
第10位 軍旗(魏・呉・蜀の旗など) 75票

<武将別 売上ランキング!(2004.1.1付)>
第1位 周 瑜 –
第2位 関 羽 –
第3位 郭 嘉 –
第4位 五虎将 –
第5位 趙 雲 –

<ごひいき武将ランキング! (2004.1.1付)>
なお商品化した武将は名誉武将として
ランキング外としております。

第1位 姜維 266票
第2位 馬超 209票
第3位 呂布 189票
第4位 夏侯惇 153票
第5位 陸遜 136票
第6位 諸葛亮 113票
第7位 徐晃 92票
第8位 劉封 82票
第9位 甘寧 72票
第10位 孫策 50票

<毎月変わる三国志の質問【一番は誰だ!アンケート】>
前回の質問結果発表
「三国志でその時歴史が決まった瞬間は?」

第1位 関羽荊州奪われ最後を遂げる 31票
第2位 赤壁で曹操 大敗北 8票
第3位 劉備、白帝城で死す 6票
第4位 諸葛亮、五丈原で亡くなる 5票
第5位 曹操、帝を迎え入れる 4票

–>やはり関羽の死は大きかった。
  ホウ統が死んでなければ諸葛亮が
  荊州の軍師としていたのでまた
  展開は変わっていたことでしょう。

今後もどしどし投票募集中です!
⇒http://www.chugen.net/ranking/index.html

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【月刊】三国志 英傑群像通信

  三国志ポータル 情報&グッズ【英傑群像】

—> URL http://www.chugen.net/
—> i-mode版 http://www.chugen.net/i/
発行者:岡本

Copyright(C)2002-2004 All Rights Reserved.

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■