母丘倹(魏)の墓標発見

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母丘倹(かんきゅうけん)といえば
三国志でも後期に活躍した魏の武将。

その墓標が発見されたというニュースは
実はもう一年前の去年の話です。

でも、そういう話題がどこにもないようなので
書くことにしました。(あったらすいません。)

母丘倹は遼東や高句麗を平定して名を上げますが
魏に忠実で司馬一族(司馬懿の息子である司馬昭と司馬師兄弟)の
横暴に我慢できず挙兵しますが破れて、
逃げる途中で殺されたと言われています。

その毋丘倹の最後の地というところにある
遭難記念碑が山西省で発掘されたとのことです。
高さ1m、幅50cm、厚み30cmの石碑です。

特段、目新しいことはわかってないようですが、
碑には大きい蓮華座像が刻ってあり
22人のおつきのものが描かれ、18人の氏名が刻んであるとか。
最後は22人で逃げていたというところでしょうか!?

なにか源義経や明智光秀の最後を彷彿とさせますね。
または関羽の最後もそんな感じですかね。

碑があるということは
すごく古い時代にはこの場所が最期の地であったというのが
わかっていたのでしょうが、それがどこかわからなくなって、
また現代見つかったということなんだと思います。

三国志の遺跡の写真を見ると
国民性の違いか?!邪魔もののごとく片隅にやられた石碑や
壊れてしまってる石碑、洗濯物を干すためにつかわれてしまってる
石碑などひどい状態なのものよく見かけます。

地元の人には三国志遺跡の保存に力を入れてもらいたいですね。

人民网の記事